こんにちは。エルです。
よく、運命は変えられるが宿命は変えられないと申しますが
この国に生まれて、女性で、という部分が宿命だと聞いてます。
もちろん、その宿命で命に危険が及んでいたり、自分らしさが表現できないで苦しまれる方も少なくないでしょう。
では今の自分の土台になった(と思われる)家庭環境はどうでしょう?
これも千差万別であろうと思うのですが、今生きている自分に恩恵が与えられていることも
目先の苦悩のまえにかすんじゃうってことはないでしょうか?
お恥ずかしい話ですが、ずいぶん前に友人に「当たり前のように学校を出させてもらって親に感謝してる?」ときかれて絶句。
もう卒業して働いて何年も経っていたのですが、なんとも、感謝の「か」の字も心に無くて自分を恥じました。
で、超超遅ればせながら「当たり前のように生きたい学校に行かせてもらって卒業まで面倒見てもらって本当に有難う!!」的なことをチチに言ったら
驚いて、そしてなんだか喜んでおりました。あ~私って本当に坊音の極み。
ハハは器用じゃないし、整理整頓は苦手(断捨離なんてもってのほか)、初めのほうは料理も苦手でしたが
どんどん腕を上げて料理はおいしいし、何より毎日こまめに動き回って庭の手入れなどをやってます。
チチは読書や音楽を子供の生活に与えてくれました。
子供の頃は4つ上の姉に毎月段ボールで絵本が届くコースをとっていて、エルは姉がうらやましくて字の読み方を教えてもらいました。
病弱だった子供のころから今に至るまで、本の楽しみが与えてくれるものはいっぱいあります。
土台って親が創ってくれたものってことかな。それとその親の親の・・・というご先祖様。
その感謝をしないでは申し訳なく思えてきます。
たまたま全く別の方々のブログとメルマガがこうした話題になっていたので、これは改めて考えよう!というサインかと思ったエルでした。
今日の良いこと・朝から雲が低く垂れこめていて予報では昼過ぎから雨となっていましたが、帰宅まで天気が持ちこたえてくれました。役場に用事もあったのですがそれも雨に濡れることなくクリア。嬉しいです。ありがとう!
皆様に幸運を!
よく、運命は変えられるが宿命は変えられないと申しますが
この国に生まれて、女性で、という部分が宿命だと聞いてます。
もちろん、その宿命で命に危険が及んでいたり、自分らしさが表現できないで苦しまれる方も少なくないでしょう。
では今の自分の土台になった(と思われる)家庭環境はどうでしょう?
これも千差万別であろうと思うのですが、今生きている自分に恩恵が与えられていることも
目先の苦悩のまえにかすんじゃうってことはないでしょうか?
お恥ずかしい話ですが、ずいぶん前に友人に「当たり前のように学校を出させてもらって親に感謝してる?」ときかれて絶句。
もう卒業して働いて何年も経っていたのですが、なんとも、感謝の「か」の字も心に無くて自分を恥じました。
で、超超遅ればせながら「当たり前のように生きたい学校に行かせてもらって卒業まで面倒見てもらって本当に有難う!!」的なことをチチに言ったら
驚いて、そしてなんだか喜んでおりました。あ~私って本当に坊音の極み。
ハハは器用じゃないし、整理整頓は苦手(断捨離なんてもってのほか)、初めのほうは料理も苦手でしたが
どんどん腕を上げて料理はおいしいし、何より毎日こまめに動き回って庭の手入れなどをやってます。
チチは読書や音楽を子供の生活に与えてくれました。
子供の頃は4つ上の姉に毎月段ボールで絵本が届くコースをとっていて、エルは姉がうらやましくて字の読み方を教えてもらいました。
病弱だった子供のころから今に至るまで、本の楽しみが与えてくれるものはいっぱいあります。
土台って親が創ってくれたものってことかな。それとその親の親の・・・というご先祖様。
その感謝をしないでは申し訳なく思えてきます。
たまたま全く別の方々のブログとメルマガがこうした話題になっていたので、これは改めて考えよう!というサインかと思ったエルでした。
今日の良いこと・朝から雲が低く垂れこめていて予報では昼過ぎから雨となっていましたが、帰宅まで天気が持ちこたえてくれました。役場に用事もあったのですがそれも雨に濡れることなくクリア。嬉しいです。ありがとう!
皆様に幸運を!
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