ガゼルタ宮殿
今日も朝から雨がしきりに降っています。沖縄や伊豆七島には「線状降水帯」に警報も出ました。
以前、鬼怒川が決壊した大雨の時、この辺も南北に連なる線状降水帯に入り二日程度強烈な雨が降り続いたことがあります。この時の雨に降り方は恐怖を引き起こす降り方で、周辺には元荒川とか古利根川などの名が示す通りもともと利根川が江戸湾に注いでいた頃の河道地帯ですから、いったん堤防が切れたら都心まで大水害になりかねません。
テレビを何気なく見ていましたら、イタリアのガゼルタ宮殿の噴水や水路、水道橋、水源の話をしていました。ヴェルサイユ宮殿やアルハンブラ宮殿の水や噴水などに関する光景もありました。
この雨降りの中で気づいたのは、ヨーロッパやペルシャ~小アジア、アラビア半島の砂漠、エジプトに至る文明圏の水に関する概念と我々との違いです。
彼らの地域では、基本的に乏しい水資源を我が物にすることが富の源泉や証明でもありました。人は砂漠や乾燥した地域を旅する時、ひたすら乏しい水を求めて行きます。旅するだけではなく、その地域を支配するとはまさに水を支配できるかどうかだったのでしょう。水は人間の生存の最低限の条件です。なければ「死」しかありません。水を得るためには水を支配する者に屈するか倒すしかないでしょう。中東や西欧の歴史を見れば、アジアとは比べ物にならないくらい戦争が続きますが、一つの要因にこうした「水の支配」もあるでしょうね。
日本のように、水に関しては明らかに豊かで恵まれた地域でも、農業生産のための水争いは過去に沢山あったと記録には記されていますし、「分水」の工夫などその証拠は沢山見ることができます。しかし、「水そのものが支配の力」というより「暴れる水を制御することが良き支配者の証」というのが日本の文化の様相だろうと思います。ですから「血を水で洗う」(あれ?血洗島?)はあっても「血を血で洗う」ような深刻な殺し合いはそれほど多くはなかったものの、むしろ「戦うと冷静さを欠く」人間が出来上がったのかもしれませんね?
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