あの日から…まだ7年
実感です…
「熊本地震」からは、来月で2年になります。
つまり、東日本大震災から、わずか5年で大きな地震に襲われたということ…
東日本大震災の発生から7年が経ちました。
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) 2018年3月11日
現在も7万3000人の人たちが避難生活を送っています。
被災地の今日の姿を、写真特集で随時アップしていきます。https://t.co/edsML5eYvF
写真は福島県浪江町に設けられた慰霊碑の先に昇る朝日です。 pic.twitter.com/aKmFqLJDxy
「熊本地震」を経験してから、英陸は東日本大震災が一層身につまされるようになりました。
TV画面に大きな揺れが映ると、自分も再びあの揺れを感じてしまう…
体が思い出してしまう…
何でかな?去年はそんなことなかったと思うのに、
最近になって、地震の映像を見ると、足がすくむ…
東日本大震災から7年 避難生活、いまも7万3千人:朝日新聞デジタル https://t.co/deQls1wXAi
— 朝日新聞社会部 (@Asahi_Shakai) 2018年3月10日
熊本は二晩連続して巨大地震に見舞われたことが、すごいトラウマになってるのだと思います。
本震後の一年余りの間に、進度1以上の余震が5000回あまり続いたしね…
「地震が終わった!」っていう安心感がない…
今、熊本は「スクラップ&ビルド」の真っ最中。
あちらこちらでビルが解体され、更地ができ、多くのブルドーザーやクレーンがうなりを上げている…
でもね、熊本の場合は、揺れは激しかったけれど、火事は起きなかった。
津波もなかった。
そして何より、原発事故がなかった…
東日本大震災との決定的な違い…
「賠償もらってるんだろ」避難生活、なぜ自分が卑屈に?:朝日新聞デジタル https://t.co/u6rWSHeEUB
— 朝日新聞社会部 (@Asahi_Shakai) 2018年3月11日
あの日、着の身着のままで避難を強いられた人々…
今も、あの日のまま、時間が止まってしまった町…
たとえ避難解除になっても、生活は帰ってこない。
そして避難指示解除になれば、1年で支援が打ち切りになるって!?
広がる避難指示解除 山積する福島の課題:日本経済新聞 https://t.co/ZaJCPE4Qu0
— 英陸 (@chikazai) 2018年3月11日
これは昨年の記事ですが、これを読むと、帰宅困難区域に指定されているところも、
2021年をめどに避難指示を解除する方針とか…
何の記事だったかな?
ある事例で、期限を定めないほうが、支援される人が安心して、やる気も出て、
結局、自立が早まった…という記事を読んだことがあるぞ。
きょうの東京新聞別刷りの大図解は、紙面の横幅をいっぱいに使った福島第一原発の解説つき全景です。ふだんは紙面化されることが少ない、北側の廃棄物集積地の様子も含め、ご覧いただけます pic.twitter.com/khiQY9gE8u
— 東京新聞 原発取材班 (@kochigen2017) 2018年3月10日
ホントに…
「原発事故さえなければ…」って思ってる人は、いっぱいいる。
そして、「原発事故があったのに、なぜ国は原発政策を続けるのか!」って怒ってる人もいっぱいいる。
サンドウィッチマンが震災風化に「震災5年で一区切りにしたのがよくなかった」…安倍政権も節目を超えたと被災地切り捨て https://t.co/K5AuR0hmVs
— litera (@litera_web) 2018年3月11日
今朝の「サンデーモーニング」は大震災の特集だったけど、被災地の方が怒ってた。
「国は私たちのことを全然見ていない」
「私たちが『帰れるように』、ではなく、自分たちが『帰してしまいたい』、
『終わりにしたい』と思っているに違いない」って…
変わらず、見守ってくれてる人もいる…
本日は、3.11東日本大震災を発生したから7年を迎えました。震災で犠牲された方々のご冥福をお祈るとともに、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。また、被災地の復興が一層進展することを切に願っています。
— 蔡英文 Tsai Ing-wen (@iingwen) 2018年3月11日
台湾の総統、蔡英文さんからのメッセージ…
震災直後も、そしてその後もずっと日本を応援してくれている…
ありがとう、台湾
【写真特集】被災地の夜明け 追悼・決意・記憶 https://t.co/5JsnxadtIm
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2018年3月10日
一歩ずつでも、前へ…
7年前のことは一生忘れられないと思います。
本震後、会社の会議室のテーブルに必死でしがみついたこと、首都圏では電車がすべて止まり、暗い夜、大勢のサラリーマンたちと国道14号線を黙々と東に向かって歩いたこと、その後の原発事故で「首都圏も壊滅状態になるかも!?」とおびえたこと等々。
でも「いざとなったら九州に帰ればいい。うちの実家は福岡だし、旦那の実家は長崎。友達もいるし九州に帰ればなんとかなる」と思いました。
あのときほど、故郷があることのありがたさを感じたことはありません。
でも浪江町や大熊町など「帰還困難区域」に住む人々は、帰れるふるさとさえ奪われてしまったのです。
被災地のかたが、
「3.11はイベントではない。震災で亡くなった方々を悼み、そして自分がいま、亡くなった人たちに恥ずかしくない生き方をしているか、自分を見つめなおす日だ」と言っていました。まさにその通りだと思っています。
正直、あの不安な日々は思い出したくないですね…
東日本大震災の時も、熊本地震の時のことも…
でも、ちゃんと備えておかなきゃいけないんですよね…
必ず、また遠くないうちに、大災害は来る…
絶対に、政権交代しといてくれ!
安倍政権のままだったら、日本沈没だあ~~!!