現状:選挙システムに問題がある(民衆の直接投票では総理大臣を選べない。スイス型の直接民主制的アプローチでも参考にすれば良い)
細分:意思決定プロセスに問題がある(理由に書く集団主義における構造的欠陥のため日本人の意思決定の質は低調にならざるを得ない)
結論:日本の制度・体制の独力での変革は不可能。(先の意思決定プロセスによる欠陥。加えて地政学的な民族的特性である過度な摩擦を忌避する感覚が根付いている以上変化への抵抗は著しいものがある為)
理由:集団主義的思考の陥穽にハマっているから(以下に記載の「ダニング=クルーガー効果」「平均効果」によって集団合意を最上とする日本のスタンスは決定的に道理に適う決定を不可能にするため)
概要
政治に対して不満を持つ。おそらく多くの人が何かしら不満を持ったことはあるだろう。
また、例えば実現性が乏しくても、もし仮にどうなれば解決できるのだろうかと思考してみたことがある人も少なからずいるのではないだろうか?
しかし、決定的に日本における変革は不可能であると私は結論が出せた。
ので、以下にその理由を書こうと思う。
理由:
日本は集団主義的思考を所与の前提としているためだ。
(※集団主義的思考とはみんなのコンセンサスを得ることを何より優先する思考のこと)
集団的思考と書いたが問題は何処にあるのか?
ポイントは合議する点にある。
集団で話し合うほど意思決定の質は低下していく。
人間は「ダニング=クルーガー効果」(バカは認知能力が足りないため自分がバカである事実を俯瞰して認識できない現象)と「平均効果」(バカは自分が周囲より劣っていることを隠す為に自信を装い、賢いものは自信満々のバカの判断に引きずられてしまい、結果として集団での意思決定の質が低下してしまう現象)によって集団で熟議すればするほど決定の質は下がっていく傾向がある。
結論としては、原理的にはいくら賢い人間が効用の高い提案をしようが、集団で意思決定するというプロセスを通せば「ダニング=クルーガー効果」と「平均効果」のバイアスからは構造的に逃れることができず、結果として質の低い意思決定となってしまう。
この構造的な欠陥を根本的に解決するには、意思決定の質を下げる"バカ"を排除するか,そもそも集団的な意思決定のシステム自体を破壊する必要がある。
これが”理由”として書いた集団主義的思考における陥穽の詳細だ。
詰まるところ、そもそも”個人”としての権利を尊重しない”村社会的”、”集団的”な意思決定の機構を前提としている日本はどうしたって上記二つのバイアスから逃れることはできず、「みな平等主義」的な考え方も相まって"バカ"を排除することもできず、結果的に革新的な決定をどうしようもなく妨げる仕様になっていると言わざるを得ない。
つまり、端的にまとめるなら、「みな平等主義」的思想を即刻取りやめ、集団主義的システム(例:政治家選挙の仕組みや硬直化した制度など)を一新し、変革に反発する既得権益者を一掃でもしない限り、そもそも日本が変わる余地などないことを私は理解した。
(※「平均効果」に関わる進化心理学的なおまけ)
『何故バカは自信満々に振る舞い、賢い人間はバカに引きずられるのか?』↓
答え:人間は進化心理学的に集団内で地位を高める為にマウントしあう必要があったためそうなっている。
前提:今の人間がデザインされたと言われる狩猟採集民族時代では、共同体の中でより高い地位を得て性愛を獲得し子孫を残す必要があった為、周囲より自己が優れているとアピールする必要性があった。その戦略として使われていたのがマウンティングになる。
具体的には:まず、バカは己が他者に劣っていると知れると困るのでそれを隠すために自信満々に振る舞うことで、自分は優れているというシグナルを発信することでアピールとする。逆に、賢い人は自分が際立って優秀だとアピールしすぎると権力者の目に止まって、将来の脅威(ライバル)として排除される危険があるので、無難に周囲のレベルに合わせようと自分を過小に見せるようになる。すると結果的に平均に紛れ込んだバカの意見に引きずられて、賢い人間は提案の質を落とし、議論では常に無難な意思決定しかできなくなる。