自分が今までした選択はいくつあっただろう。
その中で、自分の意思で行った決断はいくつだろう。
僕は昔から、あまり手のかからない子だったと思う。
母子家庭の長男ということもあり、自分がしっかりしないと家庭が崩壊してしまうと幼いながらに感じていた。
だから、とくにわがままを言うこともなく、空気を読んで生活する癖が子供のころからついた。
勉強もできたほうだった。
特に習い事をするわけでもなく、自分がやりたいことがあったわけでもなく、淡々と時が過ぎていき、高校受験を迎えた。
高校受験、といっても、中学生のうちはあまり高校のことはよく分からない。
中学校の友達と離れ離れになってしまうことを悲しく思い、今より少しだけ大人になって自由が増えることにわくわくした。
別に行きたい高校があったわけではなく、自分の学力に見合う学校、いとこが通っていて楽しそうに過ごしていた高校に決めた。
高校には無事合格し、友達も数多くできた。
部活は、友達に誘われたこともあったし、厳しすぎないところが気にって陸上部に入り、先生に勧められた競技に打ち込んだ。
高校はとても楽しく、あっという間に三年間が過ぎ、大学入試の季節が来た。
高校入学時はなぜか漠然と建築士になりたいと思っていたが、それもどこかへ消え、親戚に教員が多かったこと、安定している職業だということを理由に教員を目指そうと、教員養成大学に進むことを決めた。
大学受験は本当にきつく、もう二度とやりたくない。
だけど、そのおかげか大学にも無事合格し、サークルやら何やらやっているうちに気づけばもう大学四年生になっていた。
こうして振り返ってみると、なぜか悲しさが胸を覆う。
こう書くと、疑問に思う人も多いだろう。
何の挫折もなく、今まで過ごしてきたじゃないか。
世の中もっと苦しい思いをしている人が大勢いるよ、と。
何を甘えているんだ、と。
もちろん僕も、幸せに過ごしてきたと思っている。
周りにいる家族をはじめ、友達、親戚等々、素晴らしい人々ばかりだったし、小中高ととても楽しかった。
でもここにきて、この大学四年生で、僕は道に迷ってしまった。
自分が何をしていいのか分からない。
この先どこへ進んだらいいのか分からない。
自分のことは自分が一番わかっているはず。
なのに、自分のことがちっともわからない自分がいる。
周りの友達は、ほとんどが進む道を決め、その準備をしている。
親にも迷惑はかけられない。
頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。
それでも、頑張れない自分がいる。
自分は社会に不適合なのか?
興味もない仕事をやればいいのか?
自分はいったい何がしたいんだ。
漠然とした不安がいつも胸を覆い、ふとした時に頭によぎる。
自分の好きなことを見つける、やりたいことを見つける、努力し続ける、それがどれだけ難しいことか、実感している今日この頃です。
自分って、何をするために生まれてきたのかな。
でも、それを決めるのも自分なのかも知れない、とも思う今日でした。
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