僕は数学が好きだ。
この一言を言うだけで、「こいつ、やばい奴だ。」と思われるかもしれない。
そう、たぶんやばい奴なのだ。
数学は苦手な科目の代名詞だったりするので、僕の気持ちがわからない人もかなり多いと思うが、興味本位で読んでみてほしい。
なぜ数学が好きか。
数学の何がよいのか。
と聞かれれば、僕はその厳密性、不変性だと答えるだろう。
こう言うと、更にやばい奴、変な奴だと思われるかもしれないが、数学は美しい。
僕は美しいと思う。
数学において、幅や含みを持たせることは良しとされない。
明確な理由をもって、無駄なことは書かず、けれど必要なことは一つも漏らさず目的に向かって進んでいく。
そこに、入り込む余地はない。誰がどう見ても正しい。
この揺るぎない正しさ、厳密性こそが数学の美しさに繋がっていると思う。
世の中のほとんどのことには正解はなく、不安定な世界で我々は生きている。
その中で数学ほど、安定性・不変性のあるものは他にあるだろうか。僕は、その不安定性、不安から逃れるために日々数学の世界に入り込むのかもしれない。
美しいといえば、アートと言われる絵や音楽、映画などが挙げられる。
僕は、アートもものすごく好きだが、数学が好きで美術も好き、というとよく驚かれる。
それだけ、数学とアートは正反対に位置しているというイメージが強いのだろう。
確かに、数学の魅力とアートの魅力は違う。
数学は、先ほども述べた通り、その厳密性、正しさに魅力がある。
一方、絵であれ音楽であれ、アートは解釈に幅があることこそが魅力だ。
一枚の絵を見て、全員が同じ感想を持つことはない。
それぞれの解釈があって、それぞれの物語がある。
アーティストは自分の表現したいことを作品に込め、それを見る人、聞く人に委ねる。決して、この解釈が正しくてこの解釈が間違っている、とは言わない。
触れる人によって意味が変わり、価値も変わる。
それが、アートの魅力だと私は思う。
しかし、美しさ、という面ではどうだろう。
人が何かを美しい、と感じるとき、そこに理由はあるのだろうか。
法則はあるのだろうか。
理由や法則があるとしたら、もしかしたらそれは数学的なことかもしれない。
黄金比が用いられているとか、三平方の定理が用いられているとか。
実際、黄金比(1:1.618)は視覚的に美しい比で、多くの名画に使われているといわれる。ジョニィ・ジョースターの黄金の回転も黄金比である。
このように、数学とアートは全く正反対のものではないと思う。
そして、数学という一見システマティックな、堅い学問にも美しさが現れるのだ。
数学を少しかじった若造が勝手に言っていることなので、説得力はないかもしれない。
しかし、これを読んで少しでも数学に対するイメージが変わったら、僕は嬉しい。
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