若者の間でちょっとした昭和レトロブームのようです。
時々は昭和の頃を思い出してみることにしました。
今回は通勤風景です。
もう40年も前ですが新卒で入社し4年間勤めた某自動車メーカーを退社し地元の愛知県三河の実家に戻り転職先のコンピュータ関係の会社のある名古屋まで電車で通勤する事になりました。
父は土木エンジニアで55歳の定年後も引き続き名古屋桜通り沿いにある同ビル内の系列子会社に勤めていました。
当時の定年は55歳でした。
時々父と一緒に名古屋まで通勤しました。
電車は緑とオレンジのツートンで父はいつものホーム位置から車両に乗り込むと先の駅から乗り込んだ乗客がお見合い座席の一人分を確保してました。それが父の予約席でした。
席取りなど今では信じられない行為です。
常連の通勤仲間も一斉にタバコを吹かすものだから車内は煙でもうもうとしてました。
当時の座席には灰皿が常備されてました。
当時、私も喫煙者でしたが電車の中は流石に遠慮しました。
各駅停車の普通電車しかなく約1時間近くかけて名古屋駅に到着です。
今は快速で36分ですね。
当時私は営業職で地元の直販のTグループはじめ業販の長野県・三重県・静岡県を担当し営業車で実家に直帰するケースも多々ありました。
そんな時の翌日は出勤で会社の営業車に父を乗せて家を出ました。
会社の車両に家族を乗せるなど今思うと信じられません。
朝7時前に必ず矢作川を渡らないと大渋滞で遅刻です。
なお当時のR23は東刈谷まででした。
あとは名古屋高速をクルマで飛ばし桜通りで父を下ろし同じ通りの会社のある伏見まで数分の距離でした。
こんな通勤風景が東京本社に異動するまで3年間続きました。