信州気まま暮らし

定年退職後の信州で日々の暮らしと思いを綴る。

篤姫は標準語だった⁈

2024-05-30 19:24:00 | 日記



  朱塗網代女乗物(仙巌園 御殿にて)

先週、鹿児島を観光した余韻が続きます。

今回の旅行の契機となったNHK大河ドラマ「篤姫」で篤姫や小松帯刀が標準語で西郷隆盛や大久保利通は何故鹿児島弁(薩摩弁)なのかと素朴な疑問を抱いたのは私だけではないでしょう。


ドラマはまんざら間違ってないようです。(ドラマの標準語は現代語ですが)

島津家に限らず大名は標準語の江戸言葉を使っていました。

領地を持つ小松家など江戸勤めもある上級武士もそうです。

それに対し西郷や大久保といった半農半士の下級武士は庶民と同じだったのでしょう。

江戸生まれ江戸育ちの藩主は根っから江戸言葉で参勤交代でお国言葉に接する程度です。家族も江戸藩邸暮らしです。

なんか東京生まれ東京育ちの国会議員の地元入りと同じで今も変わってませんね。


島津本家然り分家の篤姫生家の今和泉島津家も江戸言葉でしたが薩摩訛りのイントネーションは島津斉彬の養女として鶴丸城に上がってもなかなか消えるものではありません。

篤姫を徳川宗家の御台所にと画策する斉彬にとって克服しなければならない課題でした。

それで江戸でも暮らした事のある近衛家に居る幾島を京から呼び寄せ言葉使いに礼儀作法に習い事など篤姫の教育係としてあたらせました。

大河ドラマで描かれたように幾島も大変だったし篤姫も良く頑張ったと思います。


それにしても鹿児島の路線バスの中での年配の方の会話は全く理解できませんでした。

現役時代、PC関係のメーカーで広報宣伝を担当しカスタマーサポートセンターが忙しい時はフォローに入る時がありました。

全国から電話がかかってくる中で難解だったのが鹿児島弁でした。

ふと30数年前の事を思い出しました。


是非、次回の旅は地元の方のお国言葉に接してみたいものです。




















MOVIE STUDIO で動画編集

2024-05-29 09:33:00 | 日記


先週末に鹿児島から信州へ帰ってきてまだ疲れが取れない。
GPSの後遺症に老化がプラスされた⁈
ワンコの散歩の回数増やして体力維持に努めよう。

今週は台風1号の湿った空気が前線に流れこんで大雨に強風と大荒れの天気となった。
飛行機の欠航も相次ぎ旅行の日程が数日ずれていたら大変なことになった。

篤姫紀行一人旅と題した今回の旅行の写真や動画を編集することにした。あくまで個人用でYouTubeなど公開するつもりはない。
乗り物シーンは動画で観光スポットは写真(静止画)がメインで音声でなく字幕で構成する。
BGMも用意しよう。

動画はiPhoneで撮影した。
4Kアクションカメラも携行したが通行人や民家の表札が写り込んでしまうので途中で使用をやめた。(そんなの関係ないYouTubeが溢れてるが..)
個人用でもそれがマナーだと思う。

アクションカメラは広角なので風景を撮るには良い。
iPhoneなどスマホは視野的に人間目線の動画に向いている。
ただズームを使うには一眼レフカメラの方が動作がスムーズだ。
今回は荷物になるのでカメラは持って行かなかった。
コンデジなら良いかもしれない。

編集ソフトはMOVIE STUDIOで正直まだ使いこなせてないが解説書片手に頑張ってみよう。






篤姫紀行一人旅④ 帰路

2024-05-28 13:55:00 | 日記


バスにモノレールなど乗り物好きのシニアは楽しみながら帰路につく。

〔帰路〕
鹿児島中央🚌→鹿児島空港✈️→伊丹空港🚌→神戸三宮🚝→神戸空港✈️→松本空港

天気良いのに機体は揺れたけど伊丹空港行きは上空から大阪都心部が良く見えて楽しい。
大阪は高層ビル増えたと感じる。

伊丹空港からのバスも順調で三宮からモノレールに乗り神戸空港に着き空弁を食べる。


     木曽御嶽山
飛行ルートは神戸→京都→彦根→名古屋→中津川そして木曽谷上空の御嶽山付近で右へ大きく転回し中央アルプス(たぶん権兵衛峠)を越え伊那谷を北上し諏訪湖手前で左に転回し塩嶺峠を越え松本盆地の空港へと降りていく。

徐々に高度を下げないといけないから標高の低い山をチョイスした絶妙なルートだ。
それでも山の稜線が目の前に迫り機体も気流で上下するから迫力の着地だった。
標高も一番高いしパイロットの腕が試される国内有数の空港ではないだろうか。

今回のフライトはフル動画で撮影したので就寝時にストリーミングしてみよう。自分への土産なのでYouTubeなど配信予定なし

家内は以前鹿児島に行ってお土産を知り食べ尽くしてるので荷物サイズ制限もあるし迷いに迷った。

ずっと思い出に残るであろう篤姫紀行となった。
今度は呑み鉄リベンジだ。
























篤姫紀行一人旅③ 呑み鉄本線で指宿のはずが..

2024-05-28 06:16:00 | 日記


鹿児島中央駅から枕崎指宿線で快速なのはなに乗る。
全線非電化単線だから電車でなくキハ200系気動車の2両編成だ。
ちなみに沿線の菜の花は今年は1月に咲いたとの事。早すぎる!

実は呑み鉄のつもりでチューハイ缶持参で車両に乗りこんだのに座席は横一列のベンチで夕方とあって通勤通学で乗降客も多く流石に日本人の自分は無理だなぁと諦める。

谷山駅までしばらく市電が平行して走る。
60万人都市だけあってずっと市街地が続く。
この先の喜入(きいれ)まで完全に鹿児島市への通勤圏のようだ。どっと乗客が降りる。
この列車は指宿の先の山川が終点。そこから先の枕崎方面に行くには極端に便数が減るからJR西日本最南端の西大山駅は目指さない。
昭和38年まで薩摩半島を線路がぐるっと一周していたけど山川〜枕崎間も廃線の話しが出てるようで最南端駅が山川になるかも⁈

喜入を過ぎたあたりから鹿児島湾(錦江湾)の海岸に沿って列車が走る。
桜島の噴火のせいか島も対岸の大隈半島も良く見えない。

ところで篤姫の今和泉島津家の仮屋敷が薩摩今和泉駅から程近い場所(現在の今和泉小学校)にあった。

さて車窓から広がる景色を眺めながら篤姫が生きた当時の交通事情を考えてみる。

鹿児島城下からここまでの距離は約40kmだから歩けない距離でないが休憩を挟んで1日は要しただろう。

於一は子供の頃この砂浜で遊んだと云われるが分家でも島津家お姫様だから籠に揺られて城下から来たのかもしれない。
肝付尚五郎(後の小松帯刀)の仮屋敷も途中の喜入(現在の喜入小学校)にあった。
つまり喜入は肝付家の領地で今和泉島津家の領地(今の指宿:岩本、小牧、西方の一部、池田、開聞仙田の一部)と接していた。
尚五郎と於一のニアミスあったかもしれない。
仮屋敷とは薩摩藩独特の外城制度の麓が藩内120箇所ありその近くに役所を兼ねた屋敷が建てられた。
同じ日本でも薩摩藩は何かと異色だなぁ。

「次は指宿のアナウンス」でふと我に返る。
ワンマン運行で降車は先頭車両の一番前のドアが出口だから後車両から連結部を跨いで急いで移動する。

いやぁ、駅前は田舎の寂れた風景で駅から程近いホテルは赤茶色に錆びていた。
これならゲストハウスでよかったなぁ。
指宿と言えば砂むし温泉だけど不衛生だから誰が何んと言おうと行かない。ちょっとタハラ調⁈
ここは素泊まりと割り切っていたので食事に出かける。

食事処の少なさに落胆するがちょうど開店時間の小洒落たダイニングバーを発見!
推しの黒豚のスペアリブもいいけど海の無い信州から来たので海の幸を食したい。
本日おすすめお造りと黒豚メンチカツなど戴く。特産きびなごに色々な刺身に盛り方も綺麗だけど写真を撮り忘れた。
当然ながら地酒の焼酎に日本酒と種類も銘柄も豊富だが今日も蒸し暑かったから生ビールにした🍺

でもワイワイガヤガヤの一杯居酒屋の方が自分には合ってるなぁ。

呑み鉄も空振りで風景も霞んでちょっと残念だったけど明日は帰路につく。


篤姫紀行一人旅④ 帰路 - 信州その日暮らし

篤姫紀行一人旅④ 帰路 - 信州その日暮らし

バスにモノレールなど乗り物好きのシニアは楽しみながら帰路につく。〔帰路〕鹿児島中央🚌→鹿児島空港✈️→伊丹空港🚌→神戸三宮🚝→神戸空...

goo blog

 








篤姫紀行一人旅 ② 鹿児島市内観光

2024-05-27 19:53:00 | 日記
→篤姫紀行一人旅①の続き


夕方ホテルに着いて今日は朝から移動で疲れたし明日からの観光に備え外出せずくつろぐ。
綺麗なホテルで天然温泉源泉掛け流しで疲れを取る。スパも用意されている。
夕食は自然遺産記念と題した「奄美の鶏飯御膳」だ。
スタッフさんにお茶漬けの説明をしてもらう。
量も質も十分で生ビールも旨い!🍺

早めに就寝して翌朝またお風呂へ♨️
朝食はバイキングでメニューが豊富で大満足!
とても清潔でサービスも行き届き高評価★

ホテルをチェックアウトし九州新幹線を見に鹿児島中央駅へと向かう。
飛行機に電車と乗り物大好きシニアはまだ見ぬ電車に興味津々なのだ。

入場券購入して新幹線ホームに出ると「さくら」が停車中だった。
新大阪まで行くんだとびっくりしたら他にもっと停車駅の少ない「みずほ」もあるんだと自分の何と予備知識の足りないことか。
それにしてもロングノーズだねぇ。

コンコースの観光案内所でカゴシマシティービュー1日券(市電・市バスも乗り放題)を購入し乗り場へ。

観光循環バスは30分毎に運行だがまだ20分もあるから腰掛けて並んで待つ。
お隣の男性が話しかけてきて東京から高速バスを乗り継いで昨日は福岡から鹿児島に着いたとの事。
個室付きバスの話しで盛り上がる。こういうバスの旅もあるんだなぁ。
そしてカゴシマシティービュー(観光循環バス)に乗り込んで鹿児島城(鶴丸城)を散策したいので西郷隆盛像前で降りる。

しばらく堀沿いを歩き2020年に再建された御楼門から城内に入る。
お殿様はこの正門から篤姫は裏門から入城したようだ。

石垣には西南戦争の無数の弾痕が残り激しい戦闘が繰り広げられたんだと実感する。
風化も進んでるかもしれないけど意外と弾痕は大きく玉に当たったら痛いでは済まない。

城内は美術館などの建物が占め石垣と再建された御楼門しか当時を偲ばせるものは残ってない。
なんて思いながら美術館を見学し当時の官軍の制服の小さいのにびっくりする。ほんと子供服サイズだ。
これでは黒船と同じく異人と戦さにならない。
ちなみに島津斉彬は身長170cmで当時としては高身長だったようだ。

次に「薩摩義士碑」バス停に向かう。
時は270年前の宝暦年間、幕府の命で木曽三川の治水事業を薩摩藩が担当したが難工事による事故や疫病そして工期の遅れの責を負い自刀したりと多くの薩摩藩士が亡くなった。
5月25日は平田公園で慰霊祭が執り行われるそうだ。

ここでバスに乗って次は篤姫が生まれた島津今和泉家の跡地を訪ねる。

個人の私有地なので敷地内は入れない。通りから当時の石垣だけが残る。
とてもマイナーな場所でバスを降りたのは私とご婦人お二人だけでご一緒に次のバスが来るまで歓談しながら周辺を散策する。
色々と面白いお話しありがとうございました。

次は鹿児島なら誰もがきっと行くであろう島津家別邸「仙巌園」。


お腹が空いたので早めに昼食タイムにする。
レストランの窓越しに桜島を見ながら美味しい料理に舌鼓をうつ。

御殿に移動し腰掛けて中庭の池の金魚に目をやる。
庭園そして桜島といま正にお殿様と同じ景色を見ていると思うと感無量だ。
ほんと絵になるなぁ。


敷地内に島津斉彬は反射炉や機械工場(集成館)など建設し藩の近代化を推し進めた。
知ってはいたけど尚古集成館は今年9月末まで耐震工事のため休館中でとても残念。

良い天気で蒸し暑い中、次のバスをベンチに座って待つ。

この後は時間に余裕あるから小松帯刀別邸に行く事にする。
鹿児島中央駅前から路線バスに乗り換える。
今度は市バスでなくて南国バスだから1日乗車券は使えない。小銭を用意する。
かけごしバス停の降車は自分だけで超マイナーなスポットだ。

案内板を頼りに緩やかな坂を登っていくと古い石垣が現れた。
ここ小松帯刀別邸は坂本龍馬も訪ねたと云われる。ここで帯刀と龍馬は日本の夜明けを共に語ったのだろうか。
小松帯刀は肝付家から小松家の婿養子となった
NHK大河ドラマ「篤姫」で描かれたように尚五郎(後の帯刀)と於一(おかつ:篤姫の幼名)との触れ合いはあったのだろうか。
身分的には肝付家は島津分家の今和泉家より格下だが領地を持つ諸侯だから問題ない。
今和泉家と肝付家が地理的に近ければその可能性はあったかもしれないが本邸の位置が調査不足で分からなかった。(肝付家仮屋敷は現在の喜入小学校)
などと考えながらバス停に着いて帰りの時刻表を見るとまだ時間があったので向かいのパン屋さんでホイップ入りあんぱんとコーヒー(無料)で休憩する。パン美味しいしエアコン効いて涼しい。

鹿児島中央駅から今日の宿泊先の指宿へと向かう。
篤姫紀行一人旅③ 呑み鉄本線で指宿のはずが.. - 信州その日暮らし

篤姫紀行一人旅③ 呑み鉄本線で指宿のはずが.. - 信州その日暮らし

鹿児島中央駅から枕崎指宿線で快速なのはなに乗る。全線非電化単線だから電車でなくキハ200系気動車の2両編成だ。ちなみに沿線の菜の花は今年は1月に咲いたとの事。早すぎる...

goo blog