今回も行けないので日本初上陸したF1日本GP※の思い出に浸ります。
1976年10月23日/24日、学生時代で自動車免許取得した直後に兄と一緒に富士スピードウェイへ、高速道路の運転も初めて経験しました。
当時のF1マシンのエンジンはフォードコスワースDFV全盛でそんな中でフェラーリは頑張ってましたね。大やけどから復活のニキ・ラウダに期待しました。
予選の前日の秋晴れと打って変わって決勝は最悪の雨の中のレースで遅れに遅れてスタートしました。ニキ・ラウダが早々に棄権し(残念!)カッパを着ての観戦でカメラを持つ手も濡れて冷たくなる一方でレースは徐々に熱を帯びていきました。
一際目立ったのが6輪マシンTyrrell P34でした。(Tyrrell読み:ティレル、米国はタイレル)
前輪4つの異形マシンは目が点になりました。前輪を小さくした事でダウンフォースが効きタイヤ設置面積を補うため4輪にしたとか。
S字コーナーで観戦しましたが他のマシンより進入時のブレーキングポイントが遅く制動性能は群を抜いていました。エンジンは同じでもコーナーでどんどん他のマシンを抜いていきましたね。
ドライバーは開発当初から携わったパトリック・ディパイエです。
シーズン最終戦とあって総合優勝目指すマクラレーンのジェームズ・ハントと接戦を展開しました。
レース後半は雨も上がり各チームもレインタイヤからの選択や温存に苦慮したようです。
ポールポジションから安定した走りを見せたマリオ・アンドレッティがチェッカーフラッグを受けました。タイヤの温存走行が功を奏したようです。
序盤は星野一義が一時3位と健闘も予備タイヤが無くなり無念のリタイヤとなりました。
〔結果〕
1位 マリオ・アンドレッティ ロータス・フォード
2位 パトリック・ドゥパイエ ティレル・フォード
3位 ジェームズ・ハント マクラレーン・フォード
総合優勝: ジェームズ・ハント マクラレーン・フォード
社会人になり転勤や転職で忙しくしばらくF1観戦は遠のきましたが幸運にも鈴鹿F1日本GPをパドック観戦する機会に恵まれました。
この話しは次回とさせていただきます。
※正式名称は当時の事情でF1選手権イン・ジャパン