昨日私は満88歳になった。
腰痛、腹部大動脈瘤破裂 (間違いなく死に到るところの) などで2ヶ月入院してまだ死に切れず、無理に退院し、元のアパートに戻らず、縁あってささやかな老人ホームに直行し90日以上を経過した。10畳一間だが、なにもかも処分してさっぱりした一人暮らしには、充分の住いである。
これまでと違って、複数の人たちとの共同生活である。食堂で合えば挨拶する位で会話はない。必要以上に他人を煩わさないという暗黙の雰囲気があり、それが私にはいいようだ。
もう少し自由な時間が欲しいし、ホーム暮らしの制約や規則に不満もあるが、我慢する他はあるまい。それに私はもう行くところがないのである。
改めてこの人生を見直している。とにかく私は、人生には意味があると信じてここまで来たのである。
それでも悟れなくて、やや焦りから今頃若い頃読んで感動した岩波書店発行物や、角川文庫のラッセルの『幸福論』などを改めて開いている。年の功で読みが深くなったからか、早くからもっと身を入れて読めば良かったと悔やまれるが、これが私の限界と諦める他はない。
腰痛、腹部大動脈瘤破裂 (間違いなく死に到るところの) などで2ヶ月入院してまだ死に切れず、無理に退院し、元のアパートに戻らず、縁あってささやかな老人ホームに直行し90日以上を経過した。10畳一間だが、なにもかも処分してさっぱりした一人暮らしには、充分の住いである。
これまでと違って、複数の人たちとの共同生活である。食堂で合えば挨拶する位で会話はない。必要以上に他人を煩わさないという暗黙の雰囲気があり、それが私にはいいようだ。
もう少し自由な時間が欲しいし、ホーム暮らしの制約や規則に不満もあるが、我慢する他はあるまい。それに私はもう行くところがないのである。
改めてこの人生を見直している。とにかく私は、人生には意味があると信じてここまで来たのである。
それでも悟れなくて、やや焦りから今頃若い頃読んで感動した岩波書店発行物や、角川文庫のラッセルの『幸福論』などを改めて開いている。年の功で読みが深くなったからか、早くからもっと身を入れて読めば良かったと悔やまれるが、これが私の限界と諦める他はない。