続・こがら通信

旧ブログ「こがら通信」から続く新ブログです。

私の古い文章を読んで

2022年03月25日 | 日記
 人に読んでもらう程の文章を書けたとは思わないが、ある程度その虚栄心(私の文章を発表したい)のようなものがないと書けないものである。
 書き過ぎることが嫌いな私の、ゴツゴツしているとも思える文章を読み直して、我ながら感動もする。
 私も歳を取ったからか、誰かが言っていたように「歳月は慈悲をもたらす」ものであるからか、私は確かにこれまでになく歓びを味わっている。
 例えば、「世界、うつくし我らが世界」と、まだ耳が聞こえていた頃歌った母校の校歌を思い出し、たちまち耳鳴りとなって繰り返す「うつくし我らが世界」という歌詞と節の美しさに改めて驚く。
 二十代のころ、初めてリルケの『若き詩人への手紙』(新潮文庫) を読み、その中の次の言葉が大変私の心を打った。高安国世の訳文も新鮮だった。


 もしあなたの日常があなたに貧しく思われるならば、その日常を非難してはなりません。あなた自身をこそ非難なさい。あなたがまだ本当の詩人でないために、日常の富を呼び寄せることが出来ないのだと自らに言いきかせることです。というのは、創作する者にとっては貧困というものはなく、貧しい取るに足らぬ場所というものもないからです。そしてたとえあなたが牢獄に囚われの身になっていようと、壁に遮られて世の物音が何一つあなたの感覚にまで達しないとしても――それでもあなたにはまだあなたの幼年時代というものがあるではありませんか。あの貴重な、王国にも似た富、あの回想の宝庫が。


 日頃の私の《童心への志向》に文学的確信を持ちたかった意味でも、このリルケの言葉が心強かった。
 私は絵画的なものより音楽的ものに惹かれる。私の文章はリズミカルだと弟に言われている。でもあまり調子づいているとも思われたくなくて、適当にぎこちなくしてみたりしている。

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