アドナイネベル

アドナイネベルとは、ヘブライ語で「神の竪琴」という意味です。

Tさん御夫妻とお見舞いに ☔️ 2015年10月16日

2015年10月18日 | 日記
昨日はある方の癒しの為、Tさん宅で共に祈りましたが、今日はTさん御夫妻がお見舞いに行って下さるという事です。

それで、私もまた一緒に行かせて頂く事になりました。

今日のは普通のお見舞いではなく、神様の御言葉を伝えに行くのです。📖

最善の時が備えられて、何のトラブルも発生しませんように…と道中祈りながら、雨の中、車を進めて行きました。🚙

病院に着いて、面会カードを貰うなど、色々な手続きをしながらやっと病室にたどり着くと、
患者さん本人は眠っていました。💤

それも安らかな眠りで、起こすのは忍びなく、寝顔を見ながら側に立っていると、隣の患者さんの付き添いの方が「じきに検診や着替えの時間になるから、起こしても大して違いないですよ…」と話しかけて下さいました。💬

それを機会に「そう言えば、今日の痰壷を見ると前に比べて良くなっているみたいですね…」などと会話が始まりましたが、患者さん本人は目を覚まさず眠っています。💤

でも、そうしているうちに看護師達がやって来て着替えが始まったので、私達はいったんカーテンの外に退散。

それが終わって私が今の状態を伺っているうちに、Aさんは目を覚ました患者さんに挨拶して
、何かお互いに話していました。

Aさんは柔らかい言い方をなさるから、患者さんも喜んで答えています。

何だか今日は調子が良いみたいですね!

そこに私も交わり、話しているうちに何か歌を聴いて貰おうと思いつきました。

患者さんの意向を聞いて歌集を繰って行くと、
患者さんのお好きな「浜辺の歌」が出て来ました。…コレだ、コレ!

ピアノなど何もない小さな病室で歌うというのは、本当だったら勇気の要る事でしょうが、私は公園でピアノ無しで歌い、家でも毎日賛美し
、昨日もTさん宅でいきなり賛美したしで、知らない間に備えが出来ていたみたいです。

平気で歌い出しました。🎵

そして、今日の私の役割りはコレ(賛美する事)だったんだ~と理解も出来て、神様に感謝しました。

1曲終えると患者さんはベットに横になったまま嬉しそうに拍手して下さり、私も嬉しくなりました。👏🏻

そうして歌っているとAさんも加わって下さり
、いつしか綺麗な二重唱になり…そのうち駐車場に車を置いて来たTさんもやって来ました。

ニコニコ笑いながら「こんにちは…私のこと、分かりますか?」とTさん。

「分かるよ~(もちろん)」と患者さん。

…前に何度か来ていますものね。

ひとしきりの挨拶の後、Tさんは患者さんにことわった上で聖書からの話をしてくれました。

ちょっと戸惑いながらも耳を傾けて聞いている患者さん。

いつしかTさんの手をしっかり握っています。

私はTさんの後ろで祈りながら、時々、色々な用事で出たり入ったりしていましたが、話は続いて行き、患者さんは食い入るように聞いています。

Tさんは話の最後に「それでは、私が祈るから
、もし良かったら心の中で一緒に祈って下さいね…」と言い、神様であるイエス・キリストを信じる祈りをしました。

それからAさんが教えてくれたので、私も一緒に患者さんの口元や顔を水に湿らせたタオルで拭いて上げ、手を置いて癒しも祈りました。

そして、また少し和やかに話して、最後にTさんが「それでは、私達は帰るけど、また今度来ますね…」と言い、手を放そうとしましたが、患者さんはTさんの手を放そうとしません。

何か言いたい事があったのかも知れませんが、
言えなかったのかも知れません。

私達にはわかりませんでしたが、神様は人手によらず、信じる者といつも共に居て下さいます
。だから、きっと大丈夫。

とにかく「また来ますから…」と言って、手を離して貰って私達は病室を出て来たのでした。

母と私だけだったら涙になったところだったかも知れませんが、Tさん御夫妻が一緒に居て下さったおかげで乗り越える事が出来ました。

いのちの御言葉を運ぶ為には、自分が状況にのまれてしまってはいけないのです。

その事を教えられ、また、自分では快活になれなかったところを助けて頂きました。

帰りの車中でまた少し祈って、帰途に着きましたが、その夜、私の目には今日祈って来た患者さんの回りに沢山の祈りの手が上がっているのが見えました。

神様に感謝します!

Tさん、Aさんも有難うございました!

それに、私の教会の皆さんやその他の方々の祈りを有難うございます。感謝します!

神様に全てのご栄光をお返しして、感謝します


🌱🌱🌱🌱🌱

「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。
」(コロサイ1:19、20)





















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