太陽と写真日記

思い思いに撮った写真を貼りつけてるだけのblogです。
愛犬・太陽の思い出も、、

9/30

2021年09月30日 08時39分52秒 | たい

北九州市 八幡西区 木屋瀬地区の続き、、

郡屋跡
陣屋は、郡内の村役人の集会所で、福岡藩は筑前六宿をはじめ主要な宿場に設置していたそうです。

問屋跡
問屋場は、馬・人足・駕籠等の調達や飛脚・荷物の発送等、宿場でもっとも重要な施設とのこと。

ここは普通のお店だが、看板が面白い。

ここは昭和風で、、

太陽さんは平成犬 (2017年9月 12歳)

 


9/29

2021年09月29日 08時39分58秒 | たい

北九州市 八幡西区 木屋瀬地区の続き、、、

代官所跡
現在は石垣のみ残っています、、

「みちの郷土史料館」 ちょっと時間がなくてスルー、、

街並み

彼岸花も咲いてました

久しぶりに太陽さんの写真も、、日陰に避難中ですね(2017年9月 12歳)


9/28

2021年09月28日 08時33分35秒 | たい

北九州市 八幡西区 木屋瀬地区の続き

愛宕山護国院
直方四国の札所で、本尊は不動明王を祀るお堂となっています。

境内には、建立年不明の庚申天尊、文久2年(1862年)建立の常夜燈、五輪塔の空輪が2基分あります。

 

旧船庄屋(梅本家)です。現在の建物は、天保年間の建築。

室内は、奥まで続く土間があります。(現在はシートが敷いてありました)

 


9/27

2021年09月27日 08時55分21秒 | たい

北九州市 八幡西区 木屋瀬宿の続き

旧高崎家 中も見せていただきました。無料です(^^






箪笥と階段を兼ねた「箱階段」

街道に面した雨戸は、上半分を内側に吊り上げ、下は柱の溝に沿って外すことが
出来るようになっていました。「摺り上げ戸」と言うらしいです。

近くに咲いていた花、、


9/26

2021年09月26日 10時17分29秒 | たい

北九州市 木屋瀬地区散策の続き


木屋瀬宿の庄屋だった松尾家。
現在の建物は江戸時代末期の建築だそうです、、なかは見れなかった。



同じく木屋瀬宿の内村庄屋だった元高崎家は、解体修理の際、柱の墨書から
天保6年(1835年)の建築と判明。


井戸。
内部は当時の瓦質の粘土板が円形に組まれています。
(六角の枠は復興整備の際に作られたもの)


写真では、ちょっと見えにくいですが、2階の天井は船の底のように、中央部が両端より勾配を
持って高くなった「船底天井」となっています。


雨戸は、建物の角である入隅と出隅で戸板を回転させ戸袋に収納することが出来るように
工夫されています。

出隅の鉄鉤。


9/25

2021年09月25日 10時33分42秒 | たい


筑豊電鉄に乗って 北九州市八幡西区の木屋瀬まで行ってみた、、



江戸時代に長崎街道の宿場町の木屋瀬宿として栄え、筑前六宿の一つに数えられていたそうです。
写真は「搆口」といわれるもので、宿場町の出入り口に石垣を組み、その上に塀を築いたもの。

こちらは左側。
築かれた時期は、参勤交代が制度化された寛永12年(1635年)以降と考えられています。
市内に残る唯一の遺構だそうです。



構口の外側に、元文3年(1738年)に建立された追分道標が建っています。
右赤間道、左飯塚道と刻まれています。
ただ、こちらはレプリカだそうで、本物は資料館に移されているようです。

 


9/21

2021年09月21日 08時58分30秒 | たい

山口市 洞春寺
毛利元就の菩提寺で、元亀3年(1572)に孫の毛利輝元によって
現在の広島県安芸高田市に創建されました。

山門 (重要文化財)
応永11年(1404年)創建当時のものと思われます。

中門
その後、毛利氏とともに広島市、萩市、山口市へと移り、明治4年(1871)に現在の地に移りました。
現在の地は、応永7年(1400)に大内盛見が創建した国清寺があった地とのことです。

観音堂(重要文化財)

鐘楼門 


9/20

2021年09月20日 10時10分42秒 | たい

山口 龍福寺 本堂 (重要文化財)

弘治3年(1557年)毛利隆元が、大家義隆の菩提寺として、龍福寺を大内館跡に再興しました。


元大内氏の氏寺であった興隆寺の本堂を移築したのが今の本堂だそうです。

資料館の前にある大内義隆公の像

 

太陽さん、、なでられてご満悦 (2018年9月 13歳)


9/19

2021年09月19日 08時49分02秒 | たい

なんか味のある写真館 今はやっていないようでした、、

山口 八坂神社 (重要文化財)

本社は大内弘世が応安2年(1369年)に京都から勧請し
永正16年(1519年)に大内義興が高峰山麓に本社を移し、社殿を新築したそうです。


江戸時代の末期毛利氏は本殿を現在の地に移しましたが
本殿は永正16年に建立されたままのものです。

太陽さんはご機嫌な様子 (2018年9月 13歳)