「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:13~15)
人のさげすみの中に居たサマリヤの女が、即座にイエスさまにいのちの水を求めたことは驚きである。
それは簡単な事ではないのだ。イエスさまを「愛」と知らなければ言えないことである。
自分自身を見るなら資格がないとあきらめただろう。嘲笑され、非難されるかもしれないと恐れるなら、自分には無関係だと聞き流していただろう。
また、出来もしない人に願うことはない。彼女はイエスさまをキリストと信じたから願ったのである。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7)
すべての救いを完成してくださったイエスさまに留まるだけという、無条件に与えられる恵みを受けることは、人には簡単な事ではないのだ。
今無条件の恵みを受けるには、まず十字架で完了されたことを基礎として自分自身に無条件でなければならない。
それは主が見てくださっているように、聖い眼差しで自身を見ることである。
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