メッセージが心に残っている。思いだして書いているので正確とはいかないけれど、喜びを分かち合いたくてpcに向かっている。
メッセージは、ルカ23章27~46節から・・
「十字架につけろ」と叫ぶ人々は、誰もイエス様をキリストとは認めなかった。
ただ、イエス様と一緒に十字架刑を受けていたひとりの犯罪人だけが、イエス様をキリストと仰いで救いを願ったのだった。
彼は、その場の流れに逆らってひとり主を告白した。それは世の流れに逆らって立つ信仰者の姿である。
不信仰の暗闇の中で神殿の幕は真っ二つに裂けた。神と人をへだてる隔ての壁は、人の不信仰の闇の中で取り去られた。
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ23:46)
この祈りによって、イエス様が人の罪を負って死ぬ死のみに終わらず、よるよみがえりのための捧げものとなってくださったのだった。
イエス様がご自身を父なる神様に委ねられたことで、神様のご計画である復活、新しいいのちの計画が私たちに成就したのだ・・。
人の行いや信仰ではなく、神様の良きご計画によって一方的に上から開かれた救いの道だから、私たちにそれは常に開かれているんだ・・。
私たちは絶えず揺れ動くものだけれど、今は、開かれた至聖所でどんな時でも救い主にお会い出来る。「神の国はあなたがたのただ中にある」のだもの・・。
なんて驚きだろう・・それが、神のキリストを否む不信仰のど真ん中、暗闇の中で備えられたとは・・。みことばを聴きながら感動していた。
「十字架につけろ」という叫びと同居するような、女の泣き声の群れに向かって、イエス様は「自分自身と子供達のことのために泣きなさい」と言われた。
人に同調するばかりの生き方では、この先世に起こる出来事に対して、どうして信仰によって立つことができるだろうと・・。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
イエス様は人の側に立って弁護してくださった。そう・・今もイエス様は私たちのために弁護していてくださる・・。
先週は大きなお葬式があり、先生はお疲れだろうとちょっと心配をしていたけれど、お元気なメッセージを頂いて、先生の内にすべての必要を満たし、守っていてくださるイエス様を崇めてメッセージを感謝した。
体は日々衰えてゆくものだけれど、霊は主にあって常に新しくされ、日毎に御約束のいのちに近付いている。その望みに心からハレルヤ!!
あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3:10)
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