見出し画像

石ころ

ことば

私は聴覚障害の次男を連れて聾学校の幼稚部に通っていた。聾学校は遠く、帰りにまわる塾はもっと遠かった。帰りはすっかり日も暮れて、みぞれ混じりの風がホームを吹き抜けていた。

語彙を増やすために塾に行き、絵本を買い、何をするときもキュードスピーチを用いて話し続けた。無数にカードを作り絵日記を書いて教え、彼が覚えた言葉を記録にとって数えていた。

しかし、その日はもう力尽きてしまって、癖になっているキュードスピーチを使って、ホームで小さな息子に「心細いね」と、ぽろりと弱さをこぼしてしまった。
それから数日して、暮れゆくホームでなかなか来ない電車を待っているとき、息子はつかんでいる私の手を引いて「こころぼそいね」とぽつりと言った。

その時私は、つないでいる手を通して心がひとつとなり、言葉が自然に息子のものになっていたことを知った。形容詞を教えるのは難しいなんて聞いていたけれど、言葉はこのようにして用いるものであるという、当たり前のことに気づいた時だった。
それから彼は、本を読んで共感したり感動したりとそんな中で、自然に言葉をどんどん覚えていった。

今私は、みことばに感動したり、共感したり、驚いたり、喜んだり、時にはちょっと困ったりしながら、イエス様を知ることの喜びを味わっている。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
主よ感謝します
ゆっこ様 コメント心から感謝します。
主が言葉を与えてくださって、その言葉によって御名が崇められるなんて
身に余る祝福です!

ゆっこ
こころぼそいね
何度読んでも、涙が出てきてしょうがありません。

「こころぼそいね」という言葉が、さらに言葉を覚えるきっかけになったとうことが
何とも心に響きます。

イエス様の深い愛と慰めを、石ころさんを通していただいています。

私たちの弱さに同情して下さるお方を覚えます。
石ころ
コメント感謝致します
うまころ様

イエス様に出会った瞬間から、今までのすべてのことは神様に覚えられていて、共に痛んでくださる神様であったと知りました。

私は息子の障害のことで、普通の人より多様な喜びというものを味わうことができました。不幸が味わい深い幸いとなる、逆転の主を心から賛美しています。

「目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」と御国のことが書かれていますが、今すでに御国の前味を味わっています。これは予告編ですね。御国がとても楽しみです!
うまころ
きのうコメントしようかどうか迷いました。そして、今日書きます。この気持ちを言葉にするのはとても難しいです。。ただ、本当に涙しました。それは神様に対してか、石ころさんの心にか、長い間のご苦労に対してか、息子さんとわが子を重ねてか・・う~んすべてです。どんな時も
・・私達が神を知らなかったときも、神が存在されたことをただただ、感謝します。
石ころ
salt様
文を完成させてくださってありがとうございます。このみことばを書きたかったのですが、私には出来なかったのです。
私に出来ることだけをしていれば、主がご自身の必要は備えてくださる、そしてそこから私は学んでいけるとホッと心が軽くなりました。

石田耕也様
その、ウェブの向こう側から、いつもホットでリアルなお助けを頂いています。感謝致します。
主の御名が崇められるとき、深い安心を覚えます。
石田耕也
キリストだけに頼って
キリストだけに頼って生きる人は、ただそこに座っているというだけで人に慰めを与えるものです。

私はそこかしこにそのような人を見てまいりました。

けれども、ウェブの向こう側にそれを見ることになろうとは、思いもしなかったことです。

主様はいつもそのような愛の御労苦を遊ばして、私を驚かせ給います。
Salt
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

つないだ手を通して伝わる感情。重なる心と心。

単に「ことば」を覚えるためではなく,全ての感情の源である方に出会うために,私たちは地上のいのちを生きるのですね。

そんな親子を見守るもう一つの心が重なることを知るとき,私たちは,悲しみや苦しみや切なさの彼方にキリストの愛を感じるです。

すばらしい証に感謝します。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事