石ころ

永遠のいのちの価値




律法のすべてを正しく行っている金持ちの青年が、「永遠のいのちを得るためには、どんな良い行いをしたらよいのいでしょうか」と尋ねたときイエス様から出された課題は・・、

イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マタイ19:21)

イエス様は「完全になりたいなら・・」と言われた。自分で自分を救うことができるほどの完全な人が居るならイエス様は要らない。
青年が全財産を売り払ったからといって、そのことと引き替えに永遠のいのちを得ることができるのだろうか?それはあり得ない。そんなことがゆるされるなら、永遠のいのちは買うことできるということであり、それはラクダが針の穴を通るよりはずっと易しい事になる。

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:24~26)


「人には出来ないことが神には出来る。」此処にすべての答えがある。つまり神にしかできない金持ちの救い。神にはできる金持ちの救い。
青年は「主よ。私は財産に頼って生きる事しか知らないのです。こんな私を憐れんでください。助けてください。」と願うべきであった。
そうするなら、主は彼の目を開き永遠のいのちの価値を教え、財産をいつでも取り去ることのできる方を恐れることを教えてくださったであろう。

限りある世の財産と永遠のいのちを秤に掛けて、この世の財産に目がくらむとは驚くべき愚かさだけれど、それが金持ちなのである。
貧しい者は秤に掛ける物さえないのだから、どんなに愚かであっても答えはすぐにでるのだ。
今、この世で金持ちとは誰のことなのだろう・・。


アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。(ルカ16:25)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事