石ころ

刈り入れの時(黙示録14章)

 

また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」(13)

 

「主にあって死ぬ」それは今の命のある間も、自分の中の大切な何かを主への捧げものとすることでもある。
拠り所にしてきたプライドや、愛する家族や、世渡りの道具であったお金や財産、また、賢さや地位や評判など・・、それはイエスさまの御足跡を辿るように。

 

確かにその時「労苦から解き放たれる」。自力の遣り繰りから解かれて、みことばに拠って生きるようになるからである。
手放したものは主に届き、神さまが養ってくださることを知る。プライドは、救い主キリストを誇ることとなり、家族は、主が愛し養ってくださる平安となり、世の命はマナをもって養われ、賢さは永遠を見通すキリストの知恵をたまわる。評判は、永遠に変わることのない神のおほめの言葉となる。

 

また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。(14)

 

「人の子のような方」とあるが、雲に乗って来られるのは栄光のキリストである。
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙示録1:7)

 

すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。(15~16)

 

恵みの刈り入れをなさるのはキリストである。この日、キリストに命をお委ねして、迫害に絶えて来た人々にはどれほどの喜びであろう。その労苦から解かれて、身許に安らぐ時が来たのである。
御手の鋭い鎌は、一人ひとりの、みことばに信頼して生きた信仰の在り方を、正しく切り分けて選別するものであろう。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(へブル4:12)

 

また、もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。
すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」(17~18)

 

時を同じくして、神の怒りが熟した葡萄も刈り入れを迎える。
このみことばを読める今は恵みの日である。残された時をどのように用いるかを、導くためにも黙示録がある。
必ず何もできない時が来る。もう、その前兆を垣間見せられていることに、目を覚ましているなら気づくはずである。

 

礼拝も集会もままならない時が来る。落ち着いて聖書を読む時間も失われる。ただ一人で主に叫ぶ時、確かなみことばの導きが無くては、何を根拠に信頼して主に留まることが出来るだろう。
自分の心の倉に積んで来たみことばなら、聖霊が取り出して思い出させてくださるが、みことばが積まれていなければ、逆さに降っても何も出てこないのだ。

 

そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。(19~20)

 

さばきの火を支配する御使いの鎌を入れると、神の怒りの葡萄はさばきの酒ぶねで踏まれる。その汚れた血は神の聖所の外の全地に流れるであろう。
血は命である。血を流さずに刈り入れられた者より、裁かれる者のいかに多いかがわかるのである。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事