石ころ

箱舟の窓を開けない(2020.10.9)

 

 ノアの家族は箱舟に入ると神は戸を閉められたので、彼らは荒れ狂う海の阿鼻叫喚を見ることから守られた。もし見ていたなら皆病んでしまっただろう。

この世は荒れ狂う海のように、次々と問題を備えて命を永遠の滅びに持ち去る。それは手を変え品を変えて、世の終わりが近づくに従い、ますます激しくなることが黙示録に書いてある。

 

キリスト者も同じ世で生きる者であり、箱舟が死の海に浮かんでいたのと同じである。
ノアが窓を開けて外の様子を見ていたら病んだように、キリスト者も世を眺め続けていたら病んでしまう。たまわっているキリストの平安を失って、神の栄光を現わすこともない。

 

あの人この人のことを見続けていたら思いを占領される。キリストのうちに静まり、みことばを聴きとることが出来なくなる。
「あなたはわたしに従いなさい」という命令を聴くこともなく、たまものを用いるチャンスを失ってしまうことになろう。

 

 世の知らない神の平安の中に留まってこそ、キリスト者は救いのしるしとなるのである。
今日、何を見ているべきか、何に思い巡らせているべきか・・、聴いたみことばを行うために、聖霊のご支配の中で静まって、お導きを受けなければならない。

 

キリストの約束のみことばから目を離さず、再臨の日まで心を騒がせる窓を閉じて置くことは知恵である。
主は日々の交わりの中で、聖霊を通して必要なことを教えてくださる。

世から聖別された神の平安の中で、思いを御国に置いた交わりに留まるキリスト者。私たちの国籍は天にあるのだ。

 

 聖霊によりみことばを聴いて、世に出入りして主の御力を現わさせていただくのである。その時、世に神の支配が成ることを見せてくださる。

今は、いのちの滅びから救うために、キリストを礼拝しつつ入る門が開けられている。誰でもただで出入りすることができる所である。新しい人が入って来る度に、神の家族の誕生に天にも喜びの賛美が沸き起こるのだ!

 

 しかし、ノアの日が突然であったように、永遠への門が閉じられる日も突然である。それ迄も人は誰も自分の命の終わりを知らない。
造り主なる神は、愛するひとり子イエスの命と引き換えにするほどに、ひとり一人を愛してくださっている、今も名を呼んでいてくださる。

 

わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(ヨハネ14:27)


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