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石ころ

転んだこと

 教会に行くには三つの駅で乗り換えをする。その3駅とも電車はもう着いているので、階段を走り上って、通路も小走りでないと間に合わない。だから、いつも最も都合の良いドアの一番前に陣取って、飛び降りるようにして駆け出す。

 昨日は、開いたドアから飛び出して走るつもりが、降り立った足にまったく力が入らず、そのままたたらを踏むようにホームに転がってしまった。恥ずかしいよりも、自分の体を自分の意志で支えられないことの怖さを思い知った。

膝小僧を見て「ズボンが破れていない」とほっとし、立ち上がってみるとしっかり立つことも出来たし、痛みもなくて、投げ出されたリュックを背負い直して、声を掛けて下さったおばあさんに頭を下げ「大丈夫です。おおきに!」と言って、乗り換えのホームへと階段を駆け上り無事に乗り換えに間にあった。

 電車の中で、次の乗り換えにちょっと恐い思いが頭を過ぎったとき、
「主が~わたしの手をとって~くださいます
どうして~こわがったり~逃げたりするでしょう~」
賛美歌が心の中に広がった。「ああ、そうか!」今も、真っ逆さまに倒れはしなかった。ちっとも怖がることはないと平安が戻ってきた。

 でも、今日は初めから体がなんだか頼りなくて、足にも、ずうっと違和感があった。私の怖がるべきはこのこと。
最近、血圧が不安定であり、でも何かと忙しくちょっと疲れ気味だったから、何もしたくなくてウオーキングも怠けていた。そのことがきっと禍しているのだろうと、主がそのことを警告されたのだろうと気づいた。

 メッセージで語られた言葉の中に、私たちが失敗をして低いところに落ちても、主はもっと低いところに降りてくださって、私たちの失敗を受け止めてくださると語られていた。私が転んだとき、主はもっと低くなって私の体を受けて下さったのだと、嬉しさと平安が静かに心に満ちた。

だから、今日はいつものウオーキングコースを歩いた。カラッと青い秋空を見上げつつ、なだらかな坂道を登って行った。年を取るとちょっとしたことで体はガタンと弱る。自分を甘やかさないようにしなさいと言われたような気がした。

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コメント一覧

石ころ
立ち読み、拾い読みも役に立つことがありますね。
電車の時間待ちが立ち読みのチャンスです。何しろ私の乗る電車は30分置きですから、時にはたっぷり時間があります。
エシュコル
アーメンですよ。
全く同じです。むべさんに教えられました。有り難うございますm(__)m私もその様に面倒くさがらずに動く様にします。
石ころ
ありがとうございます
アハハハ・・・そうなんです。何とか筋や、かんとか筋が弱っているのだと思います。
弱らせてはいけないのですね。鍛えないと・・。

歩いてみると、ちっとも嫌じゃないのですが、その一歩を踏み出したくない時があるのが困ります。
私の肉の思いは、すべてを怠けていたいのです。

帰りの本屋で立ち読みしたとき、とにかく家庭の中で細々と立ち働くことが書かれていました。まったくその通りだと思います。
まとめて二階に持って上がるのではなく、何度も上がり降りすれば良いのですが、このようなときに、省エネ根性が身に付いてしまっていることに気づき、自分自身のエネルギーはフルに使わないといけないと思いました。
エシュコル
お幾つか…
お互いに存じ上げませんが、歳を重ねると下半身に来ると言いますから、私も若いつもりでも歳を感じるので、お互いに気を付けましょう。
下半身の何とか筋が弱くなるそうですよ。鍛える事は出来るそうです。
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