長文になってしまいましたので、こちらでお返事させていただきます。
多くのことを考えさせられました。
サボテンに鋭い棘と、苛酷な環境に耐える命を与えられた神様からのメッセージ・・。
私はこのように思いを巡らせます。「生きよ」ではないかと・・。
聖書で棘は良いものではありません。もともとエデンの園には棘やイバラは無かったのです。
アダムが罪を犯して、エデンの園を追い出された後の労苦の一つとして生えてきたものです。
十字架のイエスの額に鋭く刺さる冠も茨で作られ、イエスさまを苦しめました。それは苦痛の象徴のようです。
でも、イエスさまの十字架は、私たちに滅びることのないいのちを与えるという、罪人をきよめて取り戻す過程として、神様の目的でもありました。
彼(イエス)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。(イザヤ53:11)
また、神様はそのイバラにさえ美しい花を添えて、「生きよ」と時を与えて待っていてくださるのだと思います。
臨死体験・・、美しい光景を見せられるのは素晴らしい希望ですね。
このことから私が教えられたことは、デ某さんが今生きて居られることの重さです。
どうぞ、生かされている命の時間を、神様の願いが叶う時としてくださいませ。
私は朝毎に「ああ、昨夜も命を守ってくださっていた。元気に生かされている。」と気づいて、「イエスさま。元気を感謝します。」って申し上げます。
「眠りは小さな死」と聞いたことがあります。本当にイエスに守られていることを、手足が自由に動くことにさえ発見し、歳を取るほどに感謝することが多くなりました。
人は何のために造られたのか、「この脆い命によって造り主の栄光を現すため」と信じています。単に自分や家族のためではなく、その小さな命に神様の遠大な祝福の計画があることを感じます。
人間として立派なことなど出来なくても、造り主が私を導いてくださるという希望がいつもあります。
その脆さ故に救い主キリストを求めるように、神様は人をロボットのようには造られず、体や心の弱さにあって、救い主キリストの元に来ることを願ってくださっています。
長文を読んでくださって感謝します。
「サボテンの花」ありがとうございます。聞きながら書きました。
お礼に聖書のことばを・・
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)
この方(イエス)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
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