朝の庭に下りたとき草木の緑が涼やかで、その心地よさに一瞬エデンの園への想いが広がった。
でも直ぐに、ここには大嫌いな蛇がいた・・とがっかり。以前蛇を見つけ「もう、二度と見させないでください」と主に願い、「二度と来るな」と蛇に命じてそれ以来見ることはないけれど、私はまだ内心ビクついている。
「ああ、エデンの園にも蛇はいたんだ・・」直ぐに気づいて可笑しくなった。
詩編には「あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。」とある。身の毛もよだつ恐ろしい表現だ。
けれども・・と考えた。その権威を主に賜っている者なのだと。
台風の目の経験がある。吹きすさぶ嵐が一瞬に治まり辺りはシンと静まって、青空から太陽が燦々と降り注いだ。子供達は喜んで家を飛び出し、大人も出て来て空を仰いだ。とても静かで美しい光景だった。
しかし、すぐに大人は「危ないから家に入れ、また吹き返しが来るぞ」と堅く戸締まりをして恐れた。
キリストによって救われ、神の御手に乗せて運ばれている今は、美しいエデンの園を霊で見て、主の備えによる養いを世で経験できる者である。
それが台風の目の平和と違うのは、もう二度と吹き返しは来ないということ。キリストによる救いは永遠である。
見るものを選び取り、聞く言葉を選び取り、賜った権威によって主に任されたものを治め、細い御声にも耳を澄ませて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝して、生きることを保証された者である。
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。(創世記1:26~31)
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