石ころ

初子の祝福(申命記15章)

 

あなたの牛の群れや羊の群れに生まれた雄の初子はみな、あなたの神、主に聖別しなければならない。牛の初子を使って働いてはならない。また羊の初子の毛を刈ってはならない。(19)

 

初めて生まれた子は、母の胎を開いてくださった神のもの。その命は主にお返しして、肉は神の恵みを家族で喜び感謝をして、健やかな命の養いをたまわる。
すべてを漫然と利益を得るだけのものとするなら、その貪欲が感謝も喜びも奪って、魂に限りない貧しさをもたらせるのである。

 

毎年あなたの神、主の前で、主が選ばれる場所で、あなたは家族とともにそれを食べなければならない。(20)

 

家族で主に捧げたものを共に味わうことができるのは、其処が主の臨在の場だからである。神の食卓で人は安らぎを与えられ、たまわった糧を味わうことは、近しく主の祝福を確認する時であり、そこは捧げた者を主が招いてくださる宴会である。

 

もしそれに欠陥、すなわち足が萎えていたり目が見えなかったり、何らかの著しい欠陥があれば、あなたの神、主にそれをいけにえとして屠ってはならない。(21)

 

私たちの罪をあがなってくださったのは、罪の染みも疵も無いキリストであった。どれほどの人が十字架で死のうとも、自分の罪をあがなうに過ぎないからである。
やがて来られるキリストを示すものは、それゆえ疵の無いものが選ばれるのである。

 

あなたは町囲みの中で、汚れた人もきよい人も一緒に、かもしかや鹿と同じようにそれを食べてもよい。(22)

 

その疵あるものさえも与えてくださった神に感謝をするとき、誰とでも楽しむことができるものとして知り合う人々を養った。

 

ただし、その血を食べてはならない。それを地面に水のように注ぎ出さなければならない。(23)

 

血は命でありそれをたまわった神に返すものである。大地はそれを吸い込んで、神の創造の初めにお返しするのである。

 

御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。(ヤコブ1:18)新共同訳

 

キリストという初穂が神に捧げられて、造られたものの初穂として私たちは産み出された。それゆえ神のために存在して、後に続く喜びと感謝の捧げものを産み出す力である。


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