石ころ

旅立つ民 ①(民数記33章)

 

 モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。
モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書き記した。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。(1~2)

 

イスラエルの成すべきことは、主の備えてくださった地に向かって、出発し続けることである。この章には「旅立って」という言葉が41回も出て来る。エジプトからモアブ草原にまでの、旅立ちが地名とともに綴られている。

 

 キリスト者もみこころに向かって日々旅立つように生きる。その命を永遠の祝福である天国への旅路に用いるのである。
居心地の良い場所を見つけても心を奪われることなく、何時でも天を目指して主が備えてくださった、永遠の祝福にゴールする者である。

 

キリストの命をもって買い取られた者は、主の祝福を受け取るために生きる。それは今日心をくじくことや、大きな失敗があっても「明日がある」という幸いでもある。その幸いは健やかな時であっても、死の床に在っても変わることは無い。

 

 あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。

愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。(Ⅰペテロ2:9~11)

 

肉の欲とは生まれながらの生き方であり、キリストを知りたいと求めもせず、みことばを経験したいと渇くことも無いものである。

しかし主は、聖霊の導きのうちにみことばを生きる道を備えてくださった。その旅路にはキリストの平安と、やがてゴールする永遠の希望が在る。


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