石ころ

刈り込みの祝福(ヨハネ15章)





わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:1~2)

刈り込みをなさるのは主である。役に立たない枝は取り除かれるとあるから、残されている枝には、神の良い計画があるのだ。
実を結ばせるために刈り込むことは主の熱心であり、すべては神より発したことである。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。(ヨハネ15:3)


刈り込まれた枝のきよさは、みことばによることである。みことばを聞いて主に取り扱われた枝はきよい。此処に平安がある。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15:16)

枝が木に繋がれて、豊かに養われるのは主のみこころによることで、枝の役割は木を離れない事である。そうすれば、寝ている間も起きている間も、流れる来る養分によって次々と実を結ぶようになる。一々養分を分析したり意識することもない。ただ、木に信頼して安息するだけで、枝はつなぎ目さえもわからないほどに木と一つである。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7)


必要をすべて満たされるのは、「あなたがたのため」そう、木が植えられたのは実を結ぶためであり、枝が多くの実を結ぶのは農夫の栄光のためである。

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。(ヨハネ15:8)

多くの実を付ける木は、父の栄光となる。喜びとなる。手間暇掛けてくださった刈り込みの成功だからである。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。(ヨハネ15:13~14)


イエスさまの完全な愛につながっているなら、その愛に拠って養われ、互いの愛は満たされている。枝は互いを受け入れ支え合い、互いの実を喜ぶのである。それは神に選ばれた者の喜びのゆえである。

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