石ころ

アナニヤとサッピラの罪(使徒5章)

 

さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。
使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。

彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、
使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。(4:32~35)

 

キリストのみわざによって、律法から解放された恵みの教会で、弟子たちは感謝と感動に満ちて、たまわったキリストの律法を喜び、その味わいの中で聖霊に満たされて、自分の心で決めたとおりに捧げものをしていたのである。

それは、永遠にまで至る完全な満たしの中で、自分のものを取り置く必要を感じなかったからである。

 

アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、
妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
すると、ペテロは言った。「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。

売らないでおけば、あなたのものであり、売った後でも、あなたの自由になったではないか。どうして、このようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
このことばを聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。これを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。(1~5)

 

彼らはキリストの律法を不自由なものにして、汚れた肉を捧げたのである。永遠の望みに満ちて生きるという完全な喜びを、人の顔色を見て生きる不完全なものとしてしまったのだ。

 

キリストは十字架ですべての人の罪を神の前に負って、死んで墓に葬られ、三日目に墓からよみがえって、500人以上の信仰者に出会って天に昇り、信じる者すべての過去、現在、未来の罪から解放してくださり、神の前に一方的に義として信仰者は永遠のいのちをたまわった。

 

キリストのみわざは、私たちに福音と言う一方的で完全な自由をプレゼントしてくださった。それゆえ自分を偽る必要はなく、取り繕う必要もなかったのである。教会は此処に存在する。
しかし、アナニヤが持ち込んだ罪によって、そのような教会の豊かな自由は失われてしまった。

 

ペテロは彼女(サッピラ)に言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのか。私に言いなさい。」彼女は「はい、その値段です」と言った。(8)

 

彼らは、純粋なキリストの律法によって生まれた教会を汚し、キリストのいのちによってたまわっている自由を、人間的な不自由なものとした。

 

そこでペテロは彼女に言った。「なぜあなたがたは、心を合わせて主の御霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちの足が戸口まで来ている。彼らがあなたを運び出すことになる。」
すると、即座に彼女はペテロの足もとに倒れて、息絶えた。入って来た若者たちは、彼女が死んでいるのを見て運び出し、夫のそばに葬った。(9~10)

 

アナニヤとサッピラが持ち込んだものは、キリストの律法を踏みつけ、偽りによる不自由であった。それは、十字架のあがないの実を台無しにするものであった。

 

弟子たちが代金のすべてを捧げたのは、「十分の一の捧げもの」から解放された喜びからである。たまわった自由に歓喜して、聖霊に満たされて聖なる捧げものをしていたのだ。

アナニヤたちは、教会に充満しているキリストの純粋な愛の交わりを、貶めたのである。

 

このことは、アナニヤにのみ厳しいということではなく、生まれたての教会の守りのための時間差過ぎず、誰でも聖霊に逆らうことは赦されない。

         

人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。(マタイ12:32)


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