石ころ

癒し主に在って



 主人と医大へ行く。先日のエコー検査の結果を聞くために・・
昨日はうっとうしくてイライラしていた。病院という所では、こちらの言いたい事が通じないという絶望感があったから・・。
しかし、主人のために作って居たみことばノートから、一つのみことばがクローズアップ、

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知って頂きなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6~7)


みことばを受け取った。
しかし、布団の中でまだすっかり安息できない自分に、「私はなんと不信仰なのだろう」と・・しかし、そのことさえも主にお委ねしていつの間にか眠っていた。


 病院は連休明けで混んでいて採血には時間がかかっていた。ぽつねんと椅子に掛けていたとき、となりの若い女性から「今日はとても混んでいますね。」と声を掛けられた。
それから、彼女が癌の治癒から4月で5年目を迎える事を話された。

「それは、良かったですね。」というと、「不安なんです。」と言われたので私は驚いた。よくお聞きすると、抗がん剤を使っている間はそれで安心する。3ヶ月毎にお医者さんにかかっている時もそれで安心する。けれども、5年目ですべてが終わる事が不安なのだと話された。

「主人は肝臓癌が消えたのです。でも、薬やお医者さんにまだ頼るところがあります。あれは心の病気にすり替わった依存症なのだと私は思うのです。」と話すと
「ご主人の気持ちがすごく分かります」と身を乗り出すようにして言われた。

「でもね。良くなったのは事実であれば、今は健康なんだから、もう向きを変えないと・・」「そうですね、何かもっと楽しい事を見つけたらいいのですね。」と「なんだか楽になりました」と明るい声で話されたとき、丁度彼女の番となり「ありがとうございます」と言って立たれた。私も「こちらこそ」って心から返した。
採血が終わって去って行かれるときも、笑顔で会釈をしてくださった。なんだか心がほっこりとして、イエス様に彼女を顧みてくださるように祈っていた。


 今日示されたことは、ちゃんと向き合って話すことだった。コミュニケーションの訓練、苦手な人に向かっても忍耐強く話せるように努めなければならないということ。私は人との交わり・・人を信じて熱心に訴えるという努力が足りない。すぐにあきらめて逃げてしまうところがある。

この年になって・・なんて思うけれど、神様は年を取ったからと言って手綱を緩めるお方ではない。そのことは聖書からもよく知っている。
むしろ、年寄りにはなを厳しいお方のようでもある。御国に行くまでに成すべき事はちゃんとさせなさるお方、天国行きの切符を持っているから自動的に到着というほど甘くはない。

だから、医師と向き合ったとき、恐れずにちゃんと必要な事をお聞きしようと思っていた。消化器内科では肝臓癌はそのままということ。つまり消えたままってこと。
「リンパ腫瘍がちょっと大きくなってきてます。」と言われた時、「また、小さくなることもありますよね。」と言うと、「えらい期待してはりますな」と言われたので「当たり前ですよ」ってつい強く言ってしまった。

なぜ医師は、自力で治るってことを厭うのだろう・・なぜそのことに一切期待しないのだろう・・それがまるで悪い事のように嫌うのだろう・・不思議だ。
主人が来るとき「『もう、良くなったから来なくてもいいです。』って言ってくれないかな・・」と言った。
「だって悪くないのに通っているのだからそれはないでしょ。」なんてちょっと意地悪いことを言ってしまったけれど・・それも事実。

しかし、これで肝臓癌に関しても終わりではなく「また、2ヶ月後にでも顔を見せてください。私がエコー検査をしますから」と言われたので、まだ続くのか・・ってカッとしたけれど、此処はなんとかコミュニケーションを・・と、通う事の大変さを訴えて3ヶ月後になった。
確かに忍耐を持って話せば幾らかは通じるのだった。


 血液内科の医師は必ず丁寧に触診してくださる。手を触れるということをしないものなぁ最近のお医者様は・・。
しかし、今日は何時もとかなり違ってお話しがちぐはぐだった。矛盾している所があった。何か都合の悪い事でもあるのかなぁ・・そんな感じ。
「これは、癌なのですか」と尋ねてみると、「癌です。」とおっしゃった。しかし、「開けてみないとわからないでしょう。見ずに癌だなんだとは言えない」ともおっしゃる・・。

「来月に大きくなっているかどうか様子を見てから、切って検査をするかどうかを決めます。」と言いつつ・・、「一ヶ月単位でどうなるってものでもはない・・」とも言われたので、その意図がさっぱりわからない。
つまりわからないのだ。だから取りあえず検査を続けたいのだろう。


 帰りの電車の中で主人がぽつんと言った。
「初めから、何もしないで放っておいたらどうだったろう」
「今と同じ事でしょう。だって何の治療もしていないし、薬も飲んでは居ないのだから・・」
「そういうことや」主人の顔色が明るくなっていた。何かから解放されたみたいに・・。
「そのことに気付いてくれて嬉しいわ」私は心からそう思った。気付かせてくださった主に感謝。

それでも、この問題が表面化したことは神様のお導きなのだと思う。良いご計画があってのことなのだと知って居るから、これからも付き合う事になるだろう・・。しかし、もう癌に振り回される事はない。

神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。(ローマ8:28)
神様は、この問題を主人の前に置いて信仰を一歩進めてくださった。
御国に行くためのお導きなら、そのための苦労なら喜んで何処まででも付き合う。その道筋において人からどのような扱いを受けようとも、主のご真実なことは知って居るから・・。ただ、主のご計画が成りますように。


 翌日掛かり付け医の所に行って結果をお伝えする。先日は険悪なやりとりとなったけれど、私はなを彼に期待をしてコミュニケーションを学ぶ事になるだろう・・。それは主から与えられた課題のようだから・・。
コミュニケーションというものは、あきらめないで人と向き合う心が必要なのだとと思い定める。

弱虫なくせにかんしゃく持ちで、すぐに逃げようとする私にはしんどいことだけれど、それこそ命じられた主は真実なお方だから、きっと私にもそのことをしてくださると信じよう。


 今日、主人は何事もなかったかのように、頼まれた桜の木の枝下ろしの仕事に手をつけた。きっと心に一区切り着いたのだろう・・。
私も続いていた憂鬱から抜け出す事が出来た。実際は何が良くなったわけではなく、むしろ不安が増しているはずなのに・・そんな恐れはもう何処にもない。
いのちは主のもの。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」

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