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石ころ

ゲラサ(マルコ5章から)

 ゲラサの墓場で悪霊に憑かれて狂っていた男よりも、豚を飼っていた人たちの方が救いからは遠かった。金持ちが救われることはらくだが針の穴を通るより難しいことだとイエス様は言われたけれど、2000頭の豚よりも、自分のすべての財産よりも、イエス様の救いの方が大切だとそう告白できることは驚くような恵み。聖霊に拠らなければ決して知ることはないことだから。

 ゲラサの人々は、自分たちこそ永遠の滅びである墓場に住んでおり、この世の霊に重要な判断の自由を奪われていることに気づくことはない。悪霊から解放され正気になって座っている男を目にし、神のわざを見ても頑なな心は逆に恐れた。唯一の救い主に、この地方から離れてくださいと、滅びの墓場から解放してくださるお方を追い払ってしまった。人は誰でも、何時でもイエス様を拒む自由をもっている。イエス様は怒ることもなく黙って去って行かれるだけである。

 救われた男はイエス様のお供をしたいと願ったけれどそれはゆるされなかった。
「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」

 イエス様のお供の方が彼には楽だったかも知れないと思う。墓場で自分がどんな様子でいたのか、どんなにあわれな様子から救って頂いたか語ることは決して簡単なことではないだろう。まして、日常家族と暮らしている地域であれば、自分自身も家族も主に捧げていないとできることではない。

「そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。」
それは神様の御名があがめられたことであり、それこそ救われた者の仕事なのだと思う。

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