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石ころ

ヤイロ(マルコ5章から)

「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」
 ヤイロはイエス様の足元にひれ伏して一生懸命に願って言った。この箇所を読むと心が痛い。瀕死の小さい娘にヤイロはどんなに必死だったろう。

 子どもを育てた者にはよくわかる。こんな時は気も狂わんばかりになって、自分の願いの他のことはすべてが邪魔になってしまう。愛する肉親を思うとき人のエゴはむき出しになる。しかし、ヤイロがイエス様に願ったのはこの言葉だけだった。群衆に邪魔をされても、長血の女が割り込んできてイエス様の足が止まっても、黙って待っていた。

 いや、女の癒しに励まされていたのだろう。女の告白に感動していたのだろう。イエス様が女にかけられた祝福の言葉を喜んでいたのだろう。彼がイエス様に心から願ったとき、小さな娘のいのちをイエス様に託していたから、手放していたからこそ黙って従って行くことが出来た。

手放したときには、それがどんなに深刻な問題であっても忘れてしまうことが出来る。彼は女の癒しをちゃんと見て共に喜ぶことができただろう。完全にイエス様の御手の中に問題をお委ねするときにイエス様はわざをなしてくださる。その時、私たちは共にイエス様の御救いを喜び合うことができる。

 大切なのは結果だけじゃない。イエス様のわざを見ながら歩き、また、娘が死んだという言葉を聞いて絶望してしまいそうなときに、「恐れないで、ただ信じていなさい。」というイエス様のことばを握りしめて歩いたその経験こそが、何にも代え難い喜びなのだと思う。

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