石ころ


私は母に叱られた記憶が一度しかない。私がよい子だったからではなく、母が非常に私に甘かったからだと思う。私は母を悲しませたくないとは思っていたが、母に守られている間は本当に自由でいられた。行動を批判されたり、止められた記憶はない。日記に家庭内のことをリアルに細々と書いて、プライバシーを曝しても、そのことで小言を言われることもなかった。

しかしそんな母に、一度本当に真剣に言い聞かされたことがあった。「怒り」ではなく、とても真剣に叱られた。それは、私が頭の中で想像したことを、近所の人たちに話したことからだった。「人に嘘を言うたらあかん」一言だったけれど、母の心配そうな顔と、悲しそうな顔が深く心に残った。

ひとりで世に放り出された時、「嘘、言うたらあかん」この言葉に、どんなに私は不自由をしたことか・・この言葉のゆえに、どんなに不器用な生き方しか出来なかった事か・・。その上母は何でも聞いて信じてくれたけれど、世には私の本当の言葉も通じなかった。

しかし、今、母の言葉の真実が分かったように思う。器用に生きることがすべてではないと・・。そんな風に生きていたら、イエス様に出会えなかったように思うから。不器用だから行き詰まる。ひとりでは生きられなくなってしまってイエス様を求めることが出来たのだから。

そして、私も子供に嘘を教えなかった「・・と言っておきなさい」とは教えなかった。そのことで彼らは私と同じように困った事にぶつかっただろうけれど、不器用な生き方を教えてきたのかも知れないけれど、そんな苦労に引き替えられないものがあることを私は体験しているから。


神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。聖書

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