石ころ

違和感

 

 クリスチャンゆえに、美しい賛美歌に心を委ねることができない時がある。
イエスさまを知らずに歌われる賛美歌は、誰を賛美しておられるのだろうと戸惑う。


クリスチャンでない方の翻訳された聖書が素晴らしいことを聞き、また、クリスチャンでない方々による聖書朗読が作られたとも聞いた。

私は中身を良く知らいなけれど、聖霊によってイエスさまを主と告白していない方を通して、神のことばが語られることに不安を感じる。


しかしクリスチャン?だからと言って、聖霊の導きの中に在られるとは思えないこともあり、また、初めから終わりまでを知っているわけではないけれど、それでも違和感をぬぐえない。


 サタンもみことばを正確に語ることは出来るだろう。しかし、その心は神さまとは真逆である。十分注意しなければならないと思うことは、それは、神の霊感によって書かれた聖書に相応しいのか・・ということ。


使徒たちもイエスさまのメッセージを直接聞き続けたが、聖霊のバプテスマを受けるまではほとんど理解出来ずにいた。
感動的であればあるほど、完璧と見えれば見えるほど、聖霊の働きに拠らない方法で、主が語られることは恐ろしく思える。


 神さまが直接人に語られるのではなく、人を介してみことばが伝わるようにお決めになった時、人の言葉の危うさを十分ご存じの主は、あらゆる国語に訳される中で、幾らかの聞き間違いや、ニュアンスが違ったり、人の解釈が混ぜ込まれて行ったりする危険はご存じだったと思う。


それゆえ、聖霊によって直接ひとり一人に関わり、日々の交わりの中でみことばの真意に導いてくださるのだと思う。
人の能力に拠るのではなく、主を求めるその人を知り尽くしておられる聖霊によって、みことばを理解すること主を知ることを、日々導いてくださるのではないかと思う。


私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(Ⅰコリント12:3)



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