石ころ

家の中でささやいている言葉(ルカ12章)




あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。(ルカ12:3)

 人の知らない暗やみで、また家の中でささやいたことが屋上で言い広められると・・、それは、不信仰で裏表のある言葉を口にしている者には恐れだけれど、いつも一つ覚えのようにみことばを語っている者には好都合である。
出掛けて行って相手を選びながら、語る必要がないからである。

しかし自分自身に信じてもいない言葉を語ることはない。自分に何を語っているか・・家族で何を語るか・・、そこで聞いておられるイエスさまによって、口にした言葉の通りに成るのだ。それも主のご真実のゆえである。

そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。
しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。(ルカ12:8~9)


目の前の権力者よりもみことばを恐れるのは、キリストに拠って生きているからである。ゲヘナを恐れることはキリスト信仰の故である。信じていない者とっては、ゲヘナよりも今日のやり繰りの方が重要である。キリスト者の吟味は此処にある。

しかし、聖霊に拠らなければ永遠への思いには至らない。明確な永遠への思いのないキリスト者は、ゴールのわからない走り方をしていることになる。
世の苦難に耐える信仰には御国の望みが見えている。嘆いてばかりの信仰は世で迷子になっているからである。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。(Ⅰコリント9:26)


年寄りであっても、若くても信仰のゴールは目の前に見ているものである。キリスト者にとってそれは明日、いや、次の瞬間に迎え入れられる栄光への脱出だからであり、その希望をいつも自分自身に語り続けるのである。
そのことばが、「言い広められる」とイエスさまが約束してくださっていることは、宣教の備えとしてなんと祝福なことであろうか。

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