キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。(ヘブル5:7)
すべてのものをお造りになったイエスさまが大きな叫び声と涙とをもって、ご自分の命の救いを祈られたということに驚いて思い巡らせていた。
いのちの造り主でもある方ではないか、それはご自身のものではないか・・と。いったい自分の作品を、大きな叫び声と涙をもって求めることなどあるだろうか・・。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:6~7)
御父の計画により、人の救いのためにすべてを捨てて人となってくださったことは、「死んで滅びる命となられた」ということであったのだ。
いのちの造り主が死ぬ者となる。これ以上の犠牲は他に無い。
「その敬虔のゆえに聞き入れられました」という敬虔は、御子の徹底的な従順によるものであり、神としての権利の完璧な放棄であった。
イエスさまは御父のみこころのままに死ぬ者となり、自分の命を得るために神に懇願しなければならない者となられた。
完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、(ヘブル5:9)
イエスさまの敬虔によって救われた者が、自分の権利を主張することなどはあり得ないことを知らされ、自分の身にもキリストの敬虔が成りますように願った。忘れませんようにと・・。
「その敬虔のゆえに聞き入れられ・・」とイエスさまの叫びと涙の祈りの内に包含されて、滅びることのないいのちをいただいたのだから・・。
正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」(ヨハネ17:25~26)
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