シューベルトの未完成交響曲は私の痛みであった。
早くに両親を亡くして色恋などいう華やぎではなく、ぞっとするほどの孤独の中で食べて生きるためだけに、矛盾だらけの底辺を這い回るような日々に聞き続けていたもの。
清らかで透明な旋律をすべて記憶するほど聞き続けていたのは、自傷行為のようでもあった。
長い間この曲だけは迂回して、懐かしむことも出来ずにいたのだが・・。
昨夜は聴き入っていた。
良く知っている美しい旋律を心の中で辿りつつ・・、自己憐憫ではなく耐えるでもなく、「生かされていたんだね。良かったね」って・・そんな思いが流れていた。
自分自身をイエスさまの眼差しで見ていた。主の十字架にある平安の中で、愛おしみつつじっと見ていた。
「見よ。すべてが新しくなりました。」主に宣言された深い安らぎの中で・・、
50年も昔のことなのにすべて記憶のままの旋律だったけれど、初めて聞くように「主は私を完成させてくださった。」という深い安らぎに浸って・・。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)
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