見出し画像

石ころ

今日は快晴

 今日は朝から、毎週聖書を一緒に読んでいる方とマタイ9章を読んだ。
彼女はいつも「此処は一番大切なところだ」と感想を話されるけれど、今日は、「新しいぶどう酒を新しい革袋に・・」という17節を選ばれて、またも、私は驚かされた。

「私にはよく分かるよ。イエスさまは、今までいろいろと聞いてきた宗教とはまったく違うから。」そういうことを彼女は身をもって感じて居られるのだろう。いつも新鮮な心で聞かれて、みことばを繰り返して読むと言われるそんな姿勢は見習わなければ・・と思う。
聖書を閉じると一緒にお祈りをして、私は直ぐに帰る。世間話に時間を潰すことはほどんどしない。そこに立ち入ることはしないと決めているから。

 良く晴れているので先日から気になっている、夏布団を出してカバーを掛け風を通す。しなければと思ってからいつもちょっとずつ遅れる。でも、出来るときには何でも無く出来ることが、出来ない時にはどうしても出来ないのだから仕方がない。マイペースで生きること。主がさせてくださる分を出来るときにすること。自分を責めることも恥じることもしない主義。

この間も、梅雨前にしようと思っていたお風呂場のカビ取りと、冷蔵庫の掃除を遅れて済ませたばかり。手がけたらどうってことはないのに、取りかかるのに時間がかかってしまうが、綺麗になった冷蔵庫は気持ちがいいし、真っ白になったお風呂場は清々しいから、やれば満足を味わうことが出来る。
こんなことが出来るのも、本当にとても感謝なことだと思う。必ず何時かどんなにしたくても出来ない日が来るから。

 以前、1ヶ月ほど入院をしていた時にしたいことは家事だった。食事を作り、お弁当を作り、洗濯や掃除をしたいだけだった。家族の世話、日常の何でもないことが、私にはそれほど大きな価値を持っているということにその時初めて気がついた。
時にはとても面倒になる、この、普通のことが出来ないということが、どれほど悲しいことであるかということを知った。

 
 遠くで雷がゴロゴロと鳴り出したので布団を取り込み、それぞれの部屋に運び入れてから、急いでスーパーに行き、新鮮な鰺があったのでそれを買った。
塩焼きにし、今夜は茶粥でも炊こう。ああ、旬にビン詰めにしておいた竹の子と、家で取った干し椎茸が水に戻してあるので、それも入れて筑前煮も作ろう。

今日はどんどん仕事が進む、色々な日があるんだ。何しろ生きものだから・・。気候によっても変わるし、体の状態によっても、状況によっては心も変わる。
でも、決して変わらない御方、イエス・キリストのみことばの約束があるから、私がどのように変わろうとも、人の評価がどのように変わろうとも心配なんかしない。自分自身をイエスさまの愛の中にお任せして、心はいつも、のほほ~んとのんびりしているばかり。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
当たり前の奇跡
田んぼの中での、saltさんと子ども達の歓声や笑顔が浮かびます。
先生が楽しんでおられると、子ども達は安心して熱中できるだろうなぁ・・と思います。

普通の暮らしの中で、奇跡はいつも起こっているのに、人はほとんど気づかないのだと思います。
主はあまりにもさりげなく行われるので・・。
Salt
当たり前の奇跡
健やかで普通の日常がいいですね。
私は、田植えとプールと算数と国語でした。
田んぼの土やプールの水しぶきや眩しい太陽が、100の幸福論より幸せです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事