石ころ

生まれ変わった女 (ヨハネ4章)





イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:13~15)


 彼女には水を汲みに来ることは辛いことであったから、イエス様のおことばに飛びついた。それは水汲みの度に罪を責められるようで、人目に恐れをもっていたからだろう。
確かに、イエス様のいのちの水を飲むものは、罪の責めから解放されるのだ。

イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」(ヨハネ4:16~18)


私たちも主を知るまでは、夫を何人も変えるようにあれこれを拝み、お金や地位や人の言葉を、偶像のように頼りとして生きてきた者である。
しかし、そんな私たちに現れてくださったイエス・キリストは、責めたてることなく赦しのみことばを語ってくださる。

彼女も、イエス様のお言葉をどれほどの優しさに包まれる思いで聞いたことだろう・・。主は罪を光の中に引き出される。そうして「よし」とすべてを赦し、罪の重荷から解放してくださるのである。
主が罪を認めない人は幸いである。(ローマ4:8)

「罪のない人」ではない。主が罪と認めないとき罪ではないのだ。すべての権威は主にある。確かにこのようにしてキリスト者は今日も安息しているのだ。

女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネ4:25~26)


 彼女はこうしてキリストを知った。そうして生まれ変わったのだ。今まで恥の中に閉じこもっていたけれど、今はキリストの言葉によって、完全な赦しと癒しを受けた。もう自分を責め立てるものがないことを知った時、自分の恥を用いてキリストを証する者とされた。

女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」
そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(ヨハネ4:28~29、42)


サマリヤの救いはこの女から発したけれど、町の人々は直接イエス様のみことばを聴き、「ほんとうの世の救い主」であることを自分で明確に知ったのだった。直接みことばから自分で知ることの大切さを思う。
女に語られたイエス様のお言葉は、時が来るまで彼女の中に秘められていただろうから・・。直接イエス様からでないと聴けないことが誰にもあると思う。


ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。(ヨハネ4:7、34)

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