主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。(31)
裁かれるのはみことばの剣である。信じる者にはいのちとなり、信じないものには永遠に燃え尽きないゲヘナの死となる。
抜き身の剣には猶予はなく、彼は死の前に居たことに気づいた。
主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。
ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」(32~33)
バラムは自分が死を通っていたことを悟った。主は彼に「道を踏み外していた」と言われた。バラムは打たれて死ぬべき命を、ロバによって救われたことを悟り、主の使いに跪き伏し拝んだとき、彼は主の御用のために生きる者に変えられたのである。
バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
主の使いはバラムに言った。「その人たちと一緒に行け。しかし、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクの長たちと一緒に行った。(34~35)
このバラムは先ほどまでのバラムではない。真に主の言葉を語るために生かされている者である。
死の淵を通って主を知ることがある。それは主のために生かされる命の恵みである。その人が恐れるのは死ではなく、生かされている主である。
バラクはバラムが来たことを聞いて、彼を迎えに、国境の端にあるアルノンの国境のイル・モアブまで出て来た。
バラクはバラムに言った。「私はあなたを迎えようと、人を遣わさなかったでしょうか。なぜ、私のところに来てくださらなかったのですか。私には、あなたをおもてなしすることが、本当にできないのでしょうか。」(36~37)
人は自分の計画のために神を礼拝する。偶像はそのために造られる。
天地創造の神を、自分の計画のために利用するような礼拝は、神に跪いてはおらず崇めてもいない。それは偶像と同じ扱いをしているのである。
バラクはバラムに「もてなしてやるではないか」と言う。もてなしてもらうことが目的なら、此処でバラムはバラクに仕える者となる。
バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は告げなければなりません。」(38)
バラムはもう口先の言葉ではなく、神の言葉に生きる者であり、バラクに仕えるものではなく、神に仕えさせる者である。
あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。(コロサイ3:9~10)