自分の計画に夢中になって打ち込んでいるとき、思わぬ失敗や挫折を味わうことがある。そんな時、私はハッとして我に返ることができる。痛い目を見たとき、神様の愛のムチを感じてすぐに御前に静まる。私は恥をかいたままで「ごめんなさい」という。
起こったことを誰がどのように思うかとか、失敗を恥じることも、責められることも、同情されることも全部放っておいて、正しく裁かれる方に身を任せてお側に居る。
「姦淫の女」(ヨハネ8:3~11)のように、引き出されたイエス様の裁きの前に居る。
「放蕩息子」(ルカ15:12~24)の私は、惨めに汚れたままで父の家に帰る。
いつも私の失敗をぬぐってくださるのは主、私は取り繕うこともなく、装うこともなくいっぱいの恥を抱えて・・本当に私には何も出来ないから・・。
静まって、わたしこそ神であることを知れ。(詩篇46:10)
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