石ころ

いのちの備え①(Ⅰヨハネ5章)

 

イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。(1)



キリスト者は二度生まれる。肉にあっては母から産まれ、霊にあっては神から生まれる。
神から生まれた者は神の子ゆえに、たまわったいのちの喜びの中で、「アバ父」と呼んで神を親しみ愛するようになる。それは努力ではなくたまわった関係によることである。


それゆえ神から生まれた者はみな兄弟姉妹であり、感情にはよらず、神の家族として聖霊によって結ばれている。


初めて出会ってもすぐに寛げる関係は、共にキリストを分かち合っているからであり、離れていても心の何処かで気遣っており、時に祈りに導かれるのは、聖霊のお執り成しによることである。


また、お会いしたことがなくてもメッセージを聴いて親しみ、一つの御霊によるお交わりを持っており、やがて永遠を共にする家族なのである。


私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。(2)


神の家族は神の愛のことばを聴いて育てられて、互いに神の養いの中で成長して慈しみ合うようになる。


彼らのうちには神の愛のことばがあふれていて、妬んだり羨んだりする愛の渇きは無いからである。
このことは、私たちが神を愛することから始まることである。


神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(3~4)


神の命令は重荷ではなく、キリスト者を守るものである。

ご真実な主は世の日々に在っても、みことばを通して危険から守り、必要な備えの中で神と共に生きる喜びを経験をさせて、信仰の成長を導いてくださる。


世に必要な愛も、忍耐も、力も、知恵をも神からたまわり、神をほめたたえて賛美する日々は、世に勝利しているのである。


世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(5)



イエスを神のキリストと信じた者は、世に振り回されて死と滅びに向かう者ではなく、自分の正しさを証明しよともがき続ける必要もない。

神との永久までの平和を持っているからである。


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