イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。(1)
キリスト者は二度生まれる。肉にあっては母から産まれ、霊にあっては神から生まれる。
神から生まれた者は神の子ゆえに、たまわったいのちの喜びの中で、「アバ父」と呼んで神を親しみ愛するようになる。それは努力ではなくたまわった関係によることである。
それゆえ神から生まれた者はみな兄弟姉妹であり、感情にはよらず、神の家族として聖霊によって結ばれている。
初めて出会ってもすぐに寛げる関係は、共にキリストを分かち合っているからであり、離れていても心の何処かで気遣っており、時に祈りに導かれるのは、聖霊のお執り成しによることである。
また、お会いしたことがなくてもメッセージを聴いて親しみ、一つの御霊によるお交わりを持っており、やがて永遠を共にする家族なのである。
私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。(2)
神の家族は神の愛のことばを聴いて育てられて、互いに神の養いの中で成長して慈しみ合うようになる。
彼らのうちには神の愛のことばがあふれていて、妬んだり羨んだりする愛の渇きは無いからである。
このことは、私たちが神を愛することから始まることである。
神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(3~4)
神の命令は重荷ではなく、キリスト者を守るものである。
ご真実な主は世の日々に在っても、みことばを通して危険から守り、必要な備えの中で神と共に生きる喜びを経験をさせて、信仰の成長を導いてくださる。
世に必要な愛も、忍耐も、力も、知恵をも神からたまわり、神をほめたたえて賛美する日々は、世に勝利しているのである。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(5)
イエスを神のキリストと信じた者は、世に振り回されて死と滅びに向かう者ではなく、自分の正しさを証明しよともがき続ける必要もない。
神との永久までの平和を持っているからである。