でも、病院に滅多に行かない私には、「何処に行くべきか・・」と言うことで悩んでしまう。
思い巡らせていたとき、昔からいろいろと助けられているk姉妹が、以前チラッと言っておられた医院の名前を思い出した。何よりも近く此処なら通うのに都合がよい。
それでも見知らぬ医師に、自分の治療をお任せして従うと言うことはとても気が重い。
以前、膵臓ガンの疑いで入院していたとき、ercp検査の説明を受けて、私が断っても計画をどんどん進められたので、祈りつつ強引に退院した経験がある。
私は、自分自身で命をどうように決するか決めたい。それは単に命を長らえることよりも、私にはずっと大切なことだから。
初めて医院を尋ねてお薬を頂いてから一週間経って、「その気になったら何時でも来て下さい」というふうに言われていたので、胃カメラを受けようと覚悟して出かけた。
診察室で医師に向かったとき、なぜか次々と軽口が出て、私らしくもない世間話なんかしていた。
医師が検査を受ける決定を、私に任せてくださったことに安心していたかしら・・。
鼻からのカメラはそれほど苦痛もなく、おしゃべりをしながらの検査だった。
k姉妹がお祈りしていて下さるという事と、上手だという評判を教えてくださっていたこともあって、すっかりリラックスしていた。
「十二指腸潰瘍をしていますね。」
「えっ、分かるのですか。もう30年以上も前ですが・・」体は傷跡を残していた・・。
息子の障害を乗り越えようと、通学の電車の中で時間を惜しんで勉強を続け、回りの目を完全に無視しているつもりだったのだけれど、体は痛みとなって反応したのだった。
でも、すべてが報われた今では、ただの懐かしい思い出にすぎなかったのだけれど、腹の中からカメラによって現れた過去に一瞬引き戻され、胸がチクリと痛んだ。
今回も同じ十二指腸潰瘍とのことだったけれど、医師は「治って来ています。」と言って下さった。薬が効いたのだろうか・・
「のどに違和感があるのですが・・」と伝えたけれど、「綺麗ですよ。のどの動きも良いですよ。神経質な方ですか・・」と聞かれて「いいえ。」ときっぱりと答えた。
私の神経は太いはず・・
「十二指腸潰瘍もピロリ菌と関係があるのですか、」検査を続けつつ尋ねると、
「そうとは限りませんが、お年を取られている方は皆さん持って居られます。でも、無理に除菌する必要はありません。ピロリも悪い事ばかりしている訳ではありませんから。」ピロリの肩を持つようなその言い方が面白かった。
「年を取ってから除菌をされると、胃酸の多く出る人はもっと多く出るようになって困ることがありますから。」と教えて下さった。
貴重な情報だと嬉しかった。「歳を取って無理な治療をする必要はない。」そういう考えを持って居られる医師に出会えたことがとても感謝だと思った。
しかし、ストレスが原因だとしたら、今回何がストレスになったのだろうと、最近の事などを振り返った時、歳と共に気短でこらえ性がなくなってきている事に気づいた。
何をするにも時間がかかるようになったこと、そのうちに疲れてしまってイライラしてくることが原因。
よく知っているはずの名前を思い出せなかったり、心にあふれているものを言葉にまとめることが出来なくて、途中で投げ出してしまうことがあったり・・。
ちょっとした出来事にとても焦ってしまって、パニックのようになったり・・、
そして、そんなふうに老いて行っている姿をじっと見つめるている、もう一人の自分がいる。
弱さ、愚かさをも主に明け渡して、信仰によって自分自身を許し受け入れつつ、熟練した老いを実現するまでには、まだまだ七転八倒するかもしれない・・。
けれども、主にとって大切なことだけは、必ず主ご自身が私に成させてくださるであろう・・という望みを持っている。
平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。(Ⅱテサロニケ3:16)
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meek
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