石ころ

私の1ミナ (ルカ19章)




私の1ミナは、1983年に出会った聖書から出発したみことば。
みことばを預ける銀行は、ブログ「石ころ」これは叫ぶ石。

すり切れた聖書には、主に賜った恵みが、いっぱい書き込まれていて、
「聖書を、お隣の人に見せてあげて・・」と言われたとき困ったものだった。
始めて出会った方を、散らかった居間に迎え入れるような戸惑い。
祈りの部屋も、家庭集会も、居間だったのだけれど・・。

イエスさまは、普段の生活の中におられるから居間だった。
祈りの部屋など無く、何時でも何処ででも祈るから・・、
呼吸を意識しないように、祈りを意識することもない。

主に声に出して話す時も、心の中で訴える時も、霊による祈りも・・。
胸が詰まる思いで、ひとこと「イエスさま」と呼ぶ時も、
それはどれも同じで、主に在るということ。

「石ころ」は、みことばや、魂の歌や、ただの日記など色々あって
どれも、主に生かされているということ。
何もできない者だから、この銀行に預けて置く。何を預けても名義はイエスさま。

イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、
こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」(ルカ19:37~38.40)


(秋空に桜が咲いていたそうです。)

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