石ころ

勝利の後の礼拝(創世記14章)

 

アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。
夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。
そして、アブラムはすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産、それに女たちやほかの人々も取り戻した。(14~16)

 

アブラムはロトを取り返す戦に出て行った時、自分の家で生まれて訓練した者を引きいていた。彼は不法に対する備えをしていた。
アブラムは圧倒的に勝利して、すべてのものを取り戻して帰って来た。

 

アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。
また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。
いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。(17~20)

 

アブラムを迎えに来た祭司メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来て主を礼拝する備えをして、アブラムを祝福した。
アブラハムは主を礼拝してパンとぶどう酒を用いて主と交わり、感謝して十分の一の捧げものをした。

 

物事の成功に「神が勝利を与えてくださった」と教える人は多いが、礼拝の備えをして主に導いて下さる人は育てて下さる神の使いである。初めての大成功を経験したアブラムには何よりも必要な出迎えであった。
自分で備えていた力の前に神に謙遜であることは、真っ直ぐにみこころを行うために覚えるべきことである。

 

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、主に誓う。
糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。」(21~23)

 

アブラムは成長した。彼は神によって得たもの神の満たしによって受けたものによって、神の栄光を現す者であることをわきまえていた。それは自分自身を聖別して神の権威の下に立つ姿を現している。

 

神は私たちに良き御計画を準備していてくださる。そのためには失敗さえも用いて訓練し育ててくださる。主に育てられずにみこころを成すことは不可能だから。
それは主により頼み、みことばに留まるなら、誰でもみこころを行うことが出来るということでもある。 主はご真実なお方であるから・・。


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