NHK「仕事の流儀」で、自宅での看取りを支えておられるお医者さんを見た。それは、24時間備えていなければならないハードな医療。
私も主人を家で看取った者なので、胸の詰まる思いをしながら見終え、命の重さが心の底にず~んと溜まったままで、夜が明けてもそのことを思い巡らせていた。
医師は介護者ぐるみ抱えるように真剣な眼差しで話しかけ、言葉にならない思いをも時間をかけて聞き出しておられた。時に厳しく時にユーモアをもって・・。
残りの少なくなった時を捕らえて、患者が人生をかけてきた言葉を語らせて綴り、残された者が何時でも振り返ることができる備えをされていた。それは死に行く人の心残りを取り去り、残された人の慰めとなるだろう。看取りならではの心遣い・・。
限りあるこの世の命の現実の中で医師は葛藤を経て、自分には何も出来ないことをわきまえ知り、
「支えようとしている私こそが、支えを必要としていることを知っている者がプロ」と、最期に流れた言葉は印象的だった。
何のために生きるのか、何のために存在しているのか。
誰のために生きて死ぬのか。
それはかって造り主を知らず、ひとりぼっちで生きていた日に私の問い続けていたことだった。
しかし今朝知ったことは、「造り主なる神のために存在している」という、とても厳粛な「生」であった。それがたとえ死に行く10分前のことであっても・・。
患者の苦痛と介護者の焦燥が交錯する時、それが「神のために生きている厳粛な時」であり、死はまさに「神の時」であって苦痛からの解放と知るなら、介護者は執着から解放され、もっと残りの時に良い交わりをすることができるだろう。
そうして、残された淋しさは変わらなくても、自分もまた神のために守られている存在として、主に委ねきった命を精一杯生きることができるだろう。
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。
また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。(Ⅰコリント8:6)
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