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石ころ

 イエスさまは、カナンの女がひれ伏し、「主よ。私をお助け下さい」と、娘を救ってくださるように求めた時、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
子どもたちとは、神の約束の民イスラエルのことだと以前教わったけれど、そのときは、イエスさまとは思えないような侮辱的な言葉に違和感を感じていた。

 今週、旧約聖書のダビデとメフィボシェテの記事を学んで、その言葉が希望を与える言葉であったと知った。
メフィボシェテは、ダビデ王の前で自分のことを「死んだ犬のような者」と表現をした。ダビデ王は、その死んだ犬のような彼を養い、いや、敵の血筋であるから禍かも知れない彼の命をも惜しんだ、と書かれてあった。

 死んだ犬と、小犬には大きな差がある。死んだ犬を拾う者はいないだろうけれど、小犬なら、私たちでさえ自分の子どもの食べ物を少し削ってでも、投げてやりたいと思うから・・
「子どもたちのパンを投げてやるのはよくないことです」ということばのイントネーションはやわらかくて、女にすがりつく余地が備えられてあったのではないかと私には思えてきた。

イエスさまは女の、「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」という言葉に、
「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と、待っていましたとばかりに誉められ、その願いに応えてくださった。イエスさまはすべてを準備をして彼女の信仰を導き育てて下さったように私には思える。

 イエスさまが私たちの信仰を導かれるとき、時には冷たく感じられることがあったり、無理な要求だと思えることがあるけれど、あっさりとあきらめて世に妥協するなら、カナンの女が、金持ちの青年のように主を去ってゆくことであり、それは、娘のいのちを惜しまれるイエスさまの悲しみとなり、イエスさまをお喜ばせすることはできなくなってしまうだろう。

「その願い通りになるように。」とイエスさまはいつも気前よく祝福したいと願っていてくださるのだから、死んだ犬のような者にもそのように応えてくださるお方なのだから、主が備えられた信仰の成長のお導きに、応えることが出来ますようにと祈る。

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