見出し画像

石ころ

栗拾いをしたよ。

主人が「栗がいっぱい落ちているから拾いに来ないか。」と畑から呼びに帰って来てくれた。
「今日は忙しいから行かないよ。」と即座に返事をしたものの・・折角誘ってくれたのだし、栗拾いなんて久しぶりだと思い返して、開いていた聖書を閉じると、麦わら帽子に長袖服と身支度をした。


艶々の大きな栗が草むらにコロコロと、イガを飛び出して気前よく転がっていた。
軍手とゴム手で完全武装して行ったけれど、イガを被っているものもあって、手を入れた瞬間チクッと反撃された。
結局主人に「火ハサミかして~」、これだったらもう大丈夫。

子供の頃に、薄暗い栗林で拾った事を思い出す。あのときは靴で踏んづけて上手にイガを剥いたことを思い出した。
やってみたけれど、運動靴を通してチクチクと痛いので、「あ~あ、鈍くさくなってしまった」と思ったのだけれど、あのときはたぶんゴム長靴を履いていたのだろう。鈍くさくなっているわけではないと思いなおした。

周りの草むらには、真っ赤な彼岸花や薄紫の野菊、露草も咲いている。
畑の大根葉がだいぶ大きくなってきたので、間引いてもらって菜飯にしようと決める。茹でただけの大根葉とごま塩の菜飯は、あっさりと色も綺麗なので家族が好き。
子供が小さい頃にはおむすびにして、野菜の摂取に大いに役立ってくれた物のひとつ。

栗は、栗ご飯用に剥いて息子にも送ってあげよう。さつまいもも一緒に入れよう。でも、これは今年は酷暑と水不足でとても出来が悪くて残念だった。まあ、沢山は要らないのだけれど・・。

お味噌も美味しくできた。今年は暑かったからか例年よりも発酵が進んでいて、とても綺麗に出来たのだけれど色の濃い味噌になった。毎年造っていても結構違いがでるのは面白い。本当に生き物なんだなぁって感じる。だから、発酵中のお味噌の置き場所は変えないようにしている。


季節、季節の流れの中で喜んだり、悩んだり、迷ったり・・そんなこんなの日々を重ねて来た。
でも、どんなに大きな失敗の時にも、ぴったりと共に居て下さるイエスさま。だから大丈夫。本当に大丈夫。これからも何があっても大丈夫だよ!


あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ46:4)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
かずさんありがとうございます。

お母様のお加減はいかがですか。
どうか、あまり頑張りすぎてお疲れが出ませんように。

金木犀の香りはある日突然来ます。
あれっ、という感じです。
主は平凡な生活の中に、自然のドラマを演出していてくださって、
年寄りであっても、心を豊かに守って居てくださいます。
かず
主人の母の病院に行く時に必ず通る公園には
、お花が綺麗に植えられ、季節の草木が、たくさん植えられています。
人工的に造られた公園でも、毎度同じ道で、秋を感じつつ、主を思います。

香料の好きな私は、何より金木犀の香りに、主を思います。どんなに高価で、素敵な香水でも、この金木犀の香りに、少しでも勝つ事は、決して出来ません。
ひっそりと咲く金木犀の香りを嗅ぎ、主の細部に至る私達への配慮に感謝しています。

栗拾い、私も、幼い頃、両親や姉妹と山に出掛けたのを思い出します。
色んな思い出がよみがえり、ちょっとセンチメンタルな気分になりました
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事