石ころ

賢い答え(マルコ12章)




律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(マルコ12:28~30)

宇宙を造り、人を造られた父、子、聖霊三位一体の神はただおひとりである。
造り主なる神を愛せよと命じられた。愛することとは朝も昼も夜も思い続けることである。もっと知りたいと願うことである。

次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:31)

神が御子を遣わされたように世を愛せよということ。時が良くても悪くても、イエス・キリストを指し示し続けることこそ、移ろうことも偽ることもない真実な愛である。

そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。
また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。(マルコ12:32~34)


彼は教わるふりをしたが、するりとイエスさまの上位に立って採点している。彼は常にそのように生きていたからである。一度上位に立った者が、相手から教わることは難しい。
イエスさまは彼を「賢い。神の国から遠くない所にいる」と言われたが、そこは神の国の外である。イエスさまを礼拝することなく神の国に入る者はいない。

イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、
また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。(マルコ12:38~39)


イエスが宮で教えておられたとき、こう言われた。「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか。
ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』
ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう。」大ぜいの群衆は、イエスの言われることを喜んで聞いていた。(マルコ12:35~37)


彼らの敬うダビデが敬った方を、彼らは軽んじていることに気付かない。教えられても悟れない。これこそ人の賢さの限界である。
主はすべての初めから永遠に生きておられる唯一の神である。アブラハムもヤコブもイサクもダビデも生きている。主は生きている者の神である。

群衆はイエスさまのお言葉を喜んで聞いていたが、ヘロデもバプテスマのヨハネの言葉を喜んで聞いたいたのだ。聞くだけで罠に嵌る。
主に静まって聴くことは、この身にみこころがなりますようにと差し出してのことである。
それは恵みであり、この上なき祝福を受ける時である。

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(ホセア6:6)

主は応答してくださる。ただで教えてくださる。お前のレベルでは無理だ。お前は知らなくても良い。などとは決して仰らない。

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