石ころ

みことばの愚かさに在る祝福 ②(ヨシュア記6章)

 

 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」(5)

 

主がヨシュアに告げられた勝利の計画は、難しいことではなく幼子にも出来ることであった。
キリスト者は聖書と聖霊によって状況の良い時も悪い時も、永遠のいのちに至る勝利をたまわっている。ご真実な神は出来ないことを命じることは決してない。人の出来ない困難のすべては、キリストが十字架で負ってくださったゆえに、主のくびきは負いやすいのである。

 

ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」(6)

 

祭司の役割は民の前で、主を頂いて喜びほめたたえることである。主を経験しているのだから、成功の中でも失敗の中でもみことばを掲げて、主のお導きの中で永遠の希望を知らせる者である。

 

そして民に言った。「進んで行き、町の周りを回りなさい。武装した者たちは主の箱の前を進みなさい。」(7)

 

今世に在るキリスト者の装備はキリストの血潮である。それは罪を暴いて責めたてられている時も、脅し嘲る迫害の中でも、訴えるものを跳ね返すキリストの力である。それは有利な戦いにも、不利な戦いにもキリスト者に先頭っていのちを守るものである。

 

ヨシュアが民にそう言ったとき、七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱はそのうしろを進み、
武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前を行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら箱のうしろを進んだ。(8~9)

 

主を賛美する霊の喜びは、聖霊に絶え間なく注がれて絶えることがない。人の目には世に悩んでいると見える時も、責め苛まれている時も、失敗した時もみことばにより頼む祈りのお交わりに在って、望みに満ちてみこころの成就を待つのである。

 

ヨシュアは民に命じた。「あなたがたはときの声をあげてはならない。声を聞かせてはならない。口からことばを出してはならない。『ときの声をあげよ』と私が言うその日に、ときの声をあげよ。」(10)

 

神のご計画の初めから終わりまでを人は知らず、主に信頼し沈黙して待つべき時がある。
眼前の敵に対抗する人の賢い戦略や武器は、現状にのみ通じるものであって、人はみな明日のことさえ知らないのだから、永遠をご存じの主により頼むのでなければ、勝利も束の間のことに過ぎない。

 

天地創造の神が一瞬にして世界をひっくり返すことが出来ないだろうか。敵を消し去ることが出来ないのだろうか。


しかし主は御子をたまわるほどに世に在る者を愛し、敵にさえも救いを準備していてくださるのである。もし敵ゆえに救いが備えられないのなら、私に救いは無かったのだから。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

 

こうして主の箱は町の周りを回り、その周囲を一周した。彼らは宿営に帰り、宿営で夜を過ごした。(11)

 

神は救い主であるキリストに反抗する人々に、「謙っていのちを得よ」と今日と言う日を与えてくださっている。

終わりの時を知らせる世の混乱をもって、反抗する命に時が迫っていることを知らせ、心の門を開けて救い主なるキリストを心に迎え入れて、不信仰の罪を告白し永遠のいのちを求めよと、今生かされているのである。


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