石ころ

聖なる寝ぼけ眼(使徒12章)




教会を迫害するヘロデ王はヤコブを殺し、それがユダヤ人の気に入ったのを見て、ペテロをも殺すために捕らえ牢に入れた。

ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。
すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。(使徒12:6~8)


主がご計画を行なわせさる時、人はその始めから終わりまでを知らず理解もできない。そのようなことは、人類がかって経験したことが無いからである。
だから主の良きご計画が成就するために、みことばのままに立ち上がり力を抜いて従うだけである。

手足を鎖に繋がれ、明日の死が迫る中で熟睡していることは、キリストの平安に拠る事である。また、人はその危機から救い出される時も、わけが分からず寝ぼけ眼で導かれて行くような者である。
キリスト者がそんなに正気でいることに拘る必要はないのだ。神の深みは何時でも常識が通用しない所なのだから・・。

彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。
そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」(使徒12:10~11)


主が何をしてくださったのかは後で知る事である。日々みことばを通して、些細な事柄に臨在を現していてくださるから、その経験を元に従って行くだけである。
そのような完全な守りを経験する場所は、試練の中にある。主は試練の中ででも熟睡させてくださることを知るのだ。

「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」(ピリピ1:29)新改訳2017

弟子たちは熱心祈っていても、ペテロの姿を見た時は非常に驚いた。人の信仰などたかが知れている。聖霊によって導かれなければ、主の良いご計画を受け取る備えはできない。霊のうちにおられるキリストの信仰を、従順の中で身に着けて行くだけの者である。

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