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石ころ

新しい着物


イエス・キリストの教えは、未処理(十字架以前)の布(人の行い)のようなもので、私たちを救うことができないのですが、彼がすでに完成されたあがないこそ私たちを救うことができます。

私たちはただ、自分が最も良いと見なす行いを完全に捨てて(新しい布で継ぎを当てる行為)、神の与えられる新しい着物をきるのみです。

神は私たちが自分の破れた着物を捨てて、新しい着物を着るようにさせられるのです。人のすべての衣服は、みな破れています。しかし、神に感謝します。神には新しい着物があります。
・・
人が救われないのは新しい着物を着ようとしないからです。
人が救われるのは、彼の行いにあるのではなく・・過去が良いか悪いかによるのではなく、彼が今日、主イエスを受け入れるか、あるいは拒絶するかにあるのです。

すべてイエス・キリストを受け入れるものは、みな救われます。
               ウオッチマン・ニー 「十二かご 第六集」より

「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。」マタイ9:16

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コメント一覧

石ころ
保護者さんへ
ワォ!
みなさま、言葉以上の想像はいけません。
着せられるのは、輝く麻の着物なのですね・・
「着せられる」という言葉に主の御手を感じますね・・

物心ついて、「着せられる」という感覚は、私には花嫁衣装以来なので本当に意味深です。
この時は、花婿ご自身が着せて下さるのですね。感激!

絹が輝くことは知っていたのですが、
麻も光るのですよね。
なんだか麻が光るって不思議なのですが・・
保護者
私達は「美しいと思えた着物」をいつの間にか何枚も何枚も着込んでいたのです。
しかし、主の御手が私達に触れた時、この重苦しくて不自由な古い着物が要らなくなりました。
私達の夫であるイエス様が一枚ずつ脱がせて下さっています。裸になるまで・・。ワォ!
そして、輝く衣を身につけるのです。
「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。」黙示録19-8
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