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石ころ

繋がる




私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ12:3~5)


 昔、忠告されたローマ12:3、私はその意味がずっと分からずにいた。それが、昨日突然開かれて・・とても感謝だった。
目は目の働きをするべきであって、目が脳のように考えてはいけない。目が心のように思い悩んではいけない。もし、そんなことをしようとするなら、目の働きを果たせなくなるのだと・・。

目の働きは見たままを、即座に正確に伝えることである。
それを思うべき限度を越えて、他の器官の働きまで負ってはいけない。そのことが書かれていたのだ。

 教会はキリストを頭とする体であって、一人ひとりはその各器官である。一人ひとりはひとつの働きをする器官であるということ。
神の与えてくださったタラントを用いて、自分の役割を負う、それは自分の十字架、自分の分だけを負うのだ。
そのためには、自分がどのような器官であるのかというを知るのが、もっとも大切なことであった。

それが分かるとき平安に役割を果たすことが出来る。それ以上のことをしようとするから壊れてしまう。
主が備えられた各器官に信頼して、目はありのままを伝えるだけでよいのだ。それは気楽なことではないか・・。
主は、与えたタラント以上に要求されることはない。真実なお方だから。

自分の役割をそれぞれが果たして行く時、ひとつの御霊によって、キリストの形を作り出し、世に姿を現すことができるのだろう。
そのとき御名が崇められるのだから。

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